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2011年1月9日(日) 尾道をゆく 亀山士綱と万年井 尾道学研究会 林 良司 |
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尾道学の提唱者である荒木正見先生の手によっ て、「尾道学の先覚者」として再び現代に甦った 感のある亀山士綱(通称を元助といい士綱は号、 1770〜1827)−。豪商油屋の主にして橋本竹下ら と肩を並べる文化人・教養人であった彼は、社会 事業の方面にも、その人徳のほどを発揮している。 亀山士綱の再登場に寄せて、尾道における寺子 屋研究で知られる瀬戸一登さん(元教員)から、 彼の遺徳(業績)はここにもあり、改めて顕彰す る価値がありますとの丁重なるお手紙を頂戴した 事もあり、新年最初の尾道学の一頁を、また長ら くご無沙汰にあった『尾道をゆく』の再始動を、 士綱の偉業を静かに伝えるその遺構の再発見から 始めたいと思う。 東土堂町、光明寺下の踏切を下りた歩道上に、 色合いからして長い年季を窺わせる古井戸とお地 蔵さんが、狭隘な立地環境で狭苦しそうに同居し ている。 刻まれた文字は井桁に見えないが(線路側は確 認不可能)、古井戸は「万年井」(まんねんい) という名を持ち、文化5年(1808)、町民の飲料 水確保を目的に、当時、町年寄(まちどしより.. 町内自治を担う役職)の職にあった亀山士綱が掘 り起こした井戸である。 亀は万年に同じく、末永く枯れる事のない、万 年の井戸である様にとの願いからの命名になる。 士綱の労を讃えて、俗に「亀山井戸」とも呼ぱれ ていたというが、今となってはその来歴が語られ る事は皆無である。 士綱はこの他にも幾つかの井戸を掘っており、 長江艮神社の古井戸の掘り返しでは、息子の亀山 夢研(むけん)も加わっている。 山口玄洞翁による上水道敷設まで、飲料水の確 保に難儀していた尾道町民(旧市街の三町を指す) にとっては、私費を投じての士綱による井戸掘り 事業は誠に有り難いものであり、そうしてみると、 彼は玄洞翁と並ぶもう一人の″水の恩人″でもあ ったといえる。 橋本竹下による失業者救済事業としての慈観寺 再建もそうだが、これらは現代で言うところの 「社会起業家」(ソーシャル・アントレプレナー ..利益ではなく社会への貢献・還元度を尺度とし た事業展開を行い、営利追求のみの起業家とは異 なる)の精神そのものではないだろうか。 社会起業家に関する本も多く出回っており、メ ディアを中心として俄にクローズアップされた感 があるが、江戸時代の尾道において、優れた社会 起業家が2人も存在した事実は、尾道人として誇 るべき事である(無論、玄洞翁もそれに列する)。 こちらは世界規模でスケールが大きく異なるが、 貧困層を対象にした金融取引をやってのけた、か の枋迫篤昌さんも優れた社会起業家の一人である 事は周知の通り。 これまではとかく文人墨客との交わりから、文 化的な面をもって語られる事の多かった亀山士綱 だが、橋本竹下と共に彼はまた、「社会起業家の 先覚者」であったとも言えるだろう。 |