2010年9月1日(水)
「てっぱん」がつなぐ
福山「経済リポート」が「てっぱん」で大ヒット
 尾道と大阪の『物語』を
  具材はアケガイ
   鉄板のパイオニアメーカーも縁
経済リポート誌面
 「記者クラブ」というものは、これを利用する
側にとっては大変、便利かいい。一過性のイベン
トなどで「ニュースのネタ」を各社いっせいに提
供すると、思惑通りのPRをしてもらえるからだ。
利用する側も利用される側も、今日では「何の疑
問も感じない」当たり前になっているが、発行形
態が日刊(テレビも同じ)でない場合、どうして
も″後追い″のハンディを背負うことになるが、
「同じような記事を書きたくない」という記者の
意地とプライドがあると、そこに本来の「足で書
く」記事で味つけができるが、当世はこの意地と
プライドに足と疎遠な社会(そこに国民的不幸の
始まりがある)になってしまった。
 福山に本社があり、在尾の尾道記者室加盟七社
の一つ「経済リポート」9月1日付(1349号)で、
新聞でいえば一面トップ記事の扱いで『NHKの
朝ドラ「てっぱん」9月27日スタートに寄せて 
尾道てっぱん今昔物語』が2ページの見開きで載
っている。
 「記者はここは一番、てっぱんブームに乗って
特集記事の一つでも..」の意気込みで、尾道担当
の西亀悟記者が署名入りで、4枚の写真を使って
の″意欲作″。
 この記事は通常なら、尾道観光協会発の「広島
風尾道焼き」の提灯記事で終わるところ(主催者
は強くそのことのみを希望している)が、西亀記
者が「足を使って取材をし、その過程で色んな人
と出会ったところから、尾道のお好み焼きが(い
わゆる「てっぱん」ブームの)にわか作りではな
いことを改めて知り、すでにドラマの主題である
「尾道と大阪」とをこんなにつないでいる人や、
尾道ならではのお好み焼きは..の原点に出遇った
「記者冥利に尽きる感動の一端」を伝えたものだ。
 「自分の書いた記事を、他社の記者が追いかけ
て(報道して)くれる」こともまた、記者稼業が
持っている「記者冥利の原点」であり、西亀記者
に敬意を表して、経済リボート紙の「尾道てっぱ
ん今昔物語」を後追い(同紙の紹介)する。
 まず、尾道風お好み焼きなどを解説した後、究
極の「尾道焼き」として、アサリの剥き身の「ア
ケガイ」をメインの具にした、かつて尾道に存在
した懐かしの味を紹介し、アケガイを具材にした
昔の海を取り戻すにはその「別の特集」が要ると
述べている。
 昭和40年代までは、尾道の海岸通りや路地を
中心にあちこちで、老婆が膝にバケツを抱え込み、
アサリの身を剥く独特の切り出し短刀を手にアケ
ガイづくりに励んでいた光景は、晩寄りなどと同
じ尾道の風物詩にもなっていた。
 御所(浜)から尾崎にかけて、眼科医が4〜5軒、
往時は繁盛し長い間、市内の長者番付けのトップ
や上位に名を連ねたが、この眼疾とアケガイを剥
く作業の因果関係(トラホームなどの蔓延)は相
当なものがあった−というのが記者の説。
 本題に戻ると、「大阪とのリンク」の中見出し
から、「てっぱん」のドラマの背景やテーマに移
り、すでにそのテーマを先取りしている事実があ
ると2つの事例を紹介する。
 常称寺山門下でお好み焼き屋を営む村上紀美さ
んの息子が、大阪の北新地で「尾道むらかみ」の
屋号で店を構えている話。お好み焼きの本場・大
阪にあって「砂ズリやイカ天などの具材は実家と
同じ取り引き先(尾道)から取り寄せ、大阪や広
島とはひと昧違うお好み焼きを焼いて、大阪でも
喜ぼれていると紹介している。
 年初にNHKの「てっぱん」が本決まりした際、
記者室に姿を見せた平谷市長も「村上のお好み焼
き屋さんの例もあり、すでに尾道と大阪はお好み
焼きでも結ばれていますから..」と記者に話して
いた。
 【余談】この息子さんは高校時代に記者の愚息
と同級生で、野球部に在籍していた根性屋(がん
ぼう)だった。当時、息子から聞いた話だが、夜
中にムシャクシャしてくると「福山駅まで走る」
というのを青年期・思春期の"ストレス解消策"に
していたのだ。すでにローカル線がストップして
いる時間帯で、走って福山まで行く以上、帰りも
走らなければならず、ほぼマラソンと同じ距離を
走ることになり、思いつきや気晴らしでは到底続
かないことで、いかに彼がカンパリ屋さんであっ
たかが、この一事でも判るのではないだろうか。
 そして、最後が締めというか貞打ちで、「大阪
とのリンクでいえば、お好み焼き台のパイオニア
的メーカーとして、全国にお好み焼き文化を広め
た会社が大阪にあり、その創業者が尾道とゆかり
の深い人であることにも触れておかねばならない
と○にツの字が入った(株)ツヤマを紹介している。
 市内在住の後藤洋子さん(77)と出会い、その親
族に津山直一さんがいて、明治生まれの直一さん
は久保小を卒業して大阪へ(この当時の当たり前)。
やがて大正区の区長を務めるようになったという。
 この直一さんの息子の津山英之助さんが1953年
に千日前に津山金物店を構えた(本紙注=この時
代、とにかく物のない時代であり、尾道の市街地
にも沢山の金物屋さんが店を並べていた)。
 その後、お好み焼き台の開発に力を入れるよう
になり、独特の工夫でシェアを伸ばしたが、粗悪
な類似品が出回るよらになり(世の常)、鉄板に
○にツの字が入った刻印を入れ信頼の証にしたと
写真入りで紹介している。
 ここで後藤さんが再登場し「今から20数年前、
尾道のお好み焼き店でこのツの字の入った鉄板を
目にし、直一さんの息子さんの会社がこれを作っ
たのかと思うと嬉しくて、この日食べたお好み焼
きの味はいつもとひと味もふた味も違うように思
えた」と感動のドラマを伝えている。
 津山金物店は1975年、(株)ツヤマに組織を変
更、現在は直一さんの孫、英敏さんが社長を継い
でおり、西亀記者はこの現社長に電話取材し「祖
父のふる里、尾道とのつながりを大切にしていき
たい」という津山英敏さんの言葉でこの特集を結
んでいる。
 「津山さんが金物店、鉄工所を何故、営んだか?」
については、現在は道路の拡幅改良で立ち退いた
旧長江10丁目に「津山のルーツ」があり、ここが
津山鉄工所ではなかったか(戦前の話)という長
江の土地の人の話を記者も聞いたことがあるが、
これとの関連は分からない。
 「ちりとてちん」では、こういったいわゆるロ
ーカルネタが毎回のエンディングの画面で紹介さ
れていた(他にも色々と)が、今回の「てっぱん」
ではどうなろうか?。



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