![]() |
2009年9月10日(木) 熊野権現社前 所有者の島岡さん整備へ 取り壊した古家跡に『第三の井戸』発見 名称判明に大きな期待 水尾井、築地井に新兄弟が |
|
![]() ![]() |
||
三兄弟の言い伝えは本当だった−。夏の「水祭 り」が行われる久保一丁目、熊野権現社前に古井 戸が見つかり、土地の所有者によって復元整備さ れることになった。尾道らしさが漂う一角には、 水祭りのからくり舞台となる「水尾井」と「築地 井」が現役で存在し、今回の発見でこれまで伝え られてきた「井戸三兄弟」が揃うことになった。 今後、井戸の名称や歴史が判明するのではないか と、関係者の関心を集めている。[幾野伝] 古井戸は今年三月、近くに住む島岡商店の島岡 さんが所有する古い民家を取り壊し、その跡地 (2・8坪)から発見されたもの。権現社の石段前 に位置する。 幸運にも四枚からなる石造りの井戸枠が、井戸 穴に蓋をする形で並べられ、完全な形で残ってい た(=両写真。左奥に水尾井と築地井が並ぶ)。 そのわずかな隙間からは、今も溜まっている湧き 水の存在が確認出来る。 「いつごろ民家を建てたのか分からず、その下 に井戸があることも全く知らなかった」と島岡さ ん。もともとは母親ゆかりの場所だったと言い、 「亡くなって今年で六十六年になるが、不思議な 発見に鎮魂の気持ちもあって復元整備することに しました」と語る。 一九二五(大正十四)年に一帯に上水道が敷設 されており、それ以降に井戸が不要になってきて、 そのまま上に民家が建てられたのではないかとの 推測は出来る。 水尾町で代々茶舗を営み、二十年前には「水祭 り」の復活に尽力、運営の中心を担つてきた今川 さんは、「父太古(明治四一〜平成七年)から、 熊野神社には水尾井と築地井ともう一つ井戸が何 処かに存在し、合わせて三つあると伝えられてい ると聞いていた」と明かし、「井戸が日の目を見 て、さらに整備されることは喜ばしく、地域の歴 史にとっても非常に意義がある」と語っている。 現在は埋まって半面しか見えない井戸枠には、 名称や建造の年月、協力者の名前などが記されて いる可能性があり、島岡さんも今川さんも「井戸 の名前が分かれば良いのですが」と今後の展開に 期待している。 ちなみに「築地井」は井戸枠に彫られた跡から 「明治十三年五月」の建造で、「福田栄助・内藤 伊久兵衛・水成幾太郎・藤原八助・藤原茂平・大 石正文助・岡本清助」。「水尾井」は八年遅れて 「明治二十一年十二月」の建造で、「青木佐助・ 今川為助・梶■喜七・今田藤助・土居弥助・板原 庄助・片岡文七・福田栄助」の協力者の名前がそ れぞれ刻まれている。 島岡さんは「大したことは出来ないが、井戸枠 を立てて周辺を石畳にし、神社の領域に相応しい 雰囲気にしたい」と話し、十七日には艮神社宮司 による簡単な神事を営み、来月上旬から工事する 予定。 |