2009年8月22日(土)
五百年ぶり里帰り
室町時代に活躍 尾道の刀工集団
 「其阿弥」の銘
   宮地義治さん刀や槍六点寄贈を
刀
刀の鍔
宮地さんと平谷市長
 五百十年ぶり、尾道に里帰り−。大阪府堺市の
運送会社会長、宮地義治さん(76)が、室町時代に
尾道で作られた刀や槍、鍔を市に寄贈、20日午後、
市役所を訪れ、平谷祐宏市長に手渡した。市文化
振興課では来月、おのみち歴史博物館の企画展で
公開することにしている。
 五代前の先祖が因島から大阪に出て、戦時中に
は母親の出身地で疎開していた尾道市百島町に七
年間暮らしたことがある宮地さんは、会社を経営
するかたわら、趣味で刀剣類を収集してきた。こ
れまでにも因島の水軍城で度々、コレクション展
を開くなど無類の収集家として知られる。
 寄贈したのは刀二口をはじめ脇差、短刀、片鎌
槍、鍔の合わせて六点。
 刀一口(長さ60cm)=写真上=には、「備州尾
道住五阿弥貞信」とあり、裏面には西暦一五〇〇
年にあたる「明應九年八月」と記されている。脇
差(長さ44cm)にも同じ五阿弥貞信の銘と「明應
八年二月」、槍にも「尾道住其阿弥国正」、江戸
時代の鉄製の鍔(8×7.3cm)=写真中=にも「其
阿弥」とある。
 其阿弥(=五阿弥)は室町時代に尾道を中心に
活躍した刀工集団で、時宗の二祖、真教上人が尾
道を訪れた時、「御札切小刀」を献上したところ、
褒美として其阿弥の号を授かったとされている。
其阿弥家は、現在の十四日元町辺りにあって、江
戸時代になると刀の需要が少なくなり、農耕・海
運用具も製造、一帯には何軒もの鍛冶屋が軒を連
ね「鍛冶屋町」と呼ぱれた。
 其阿弥の名品では、福山市新市町の吉備津彦神
社所蔵の「毛抜形太刀」が国の重要文化財、其阿
弥長行作の刀などが尾道市重文に指定されている。
 短刀に記された「備州三原正奥」の三原は、其
阿弥と同じく三原正家を祖として鎌倉末期から室
町末期まで三原を拠点に分派が備後各地で活動し
た刀工集団。
 寄贈された刀剣にはいずれも、調査研究と保存
を行っている(財)日本美術刀剣保存協会(佐々淳
行会長)の鑑定書が付いている。
 宮地さんは「私の家の金庫に眠らせておくより
も、尾道の皆さん、全国の皆さんに見て頂く方が、
きっと刀匠も喜ばれるでしょうから」と寄贈に至
った思いを説明(=写真下)。
 「私は結婚した時に自分で決めたことが二つあ
り、一つは会社を作って大きくすること。二つは
自分以上の後継者を育てることだった。三十歳で
会社を作り、子供が後継者に育ったので六十歳で
会社はスパツと辞めた」と語り、「刀剣は長年の
道楽。五百十年もの間、どこをどう回っていたの
かは分からないが、尾道に無事里帰り出来て良か
った。これからもオークションで、尾道ゆかりの
品を見つけていきたい」と永久保存と公開の思い
を行政に託していた。
 平谷市長は「大変貴重な物を頂いた」と繰り返
し礼を述べていた。         [幾野伝]



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