2009年1月10日(土)
尾道水道の風物詩
昭和初期には島内で12渡船と花盛り
 7渡船が4航路に縮小
  しまなみ海道開通10年余りで
運休中の駅前渡船
 しまなみ海道が開通し今年で10年目を迎えるが、
尾道水道を行き交い風物詩として親しまれている
渡船がこの10年余りで7航路から4航路とほぼ半
減、昨年12月からは向島運航の桟橋が沈没、運航
を休止し、再開の目途が立っていない。高齢化社
会を迎え交通弱者の足を確保するうえからも渡船
の継続運営は欠かせないもので公益的観点から事
業主体、行政が知恵を出し合い、対策を講じる必
要ある。
 平成11年、しまなみ海道が開通する2年前平成
9年4月、日立造船向東工場と浄土寺下海岸を連
路する通称「ドック渡し」が廃止された。開通後
の平成13年12月には尾道水道西端の有井と新浜を
結ぶ「有井渡船」が運航を止めた。さらに桟橋が
沈没し付け替えたのもつかの間、昨年4月には彦
ノ上と市役所西を連絡する、しまなみフェリーが
廃業したのは記憶に新しい。
 しまなみフェリーに続いて昨年12月、富浜と尾
道駅前を結ぶ向島運航の桟橋が沈没、代替えの桟
橋を探しており、再開の目途が立っていない。尾
道水道の航路は東から「桑田渡し」、「兼吉渡船」、
「福本渡船」と3航路で島民約4万人をまかなっ
ている。
 平成25年4月、尾道大橋の無料化問題が控えて
おり、渡船と橋の共存共栄をどうはかっていくか
という課題も浮上してくる。無料化になれば渡船
に追い打ちをかけることになり、何らかの方策を
打ち出す必要が出てくる。いずれにせよ現状では
渡船はじり貧状況で先行き危機感が募っている。
 尾道水道に渡船が花盛りだったのは昭和初期で
「向島岩子島史」によれば昭和13年、12航路あ
った。
 向島町の渡船が「兼吉渡し」、西富浜から東御
所間の「島崎渡し」、四軒島から土堂一丁目を結
ぶ「小浦渡し」、津部田から岩子島、吉和を経て
岩崎海岸に至る「津部田尾道航路」、「有井渡し」、
立花から干汐を経て中央桟橋に着く「立花尾道航
路」、道越と岩子島間の「道越渡し」と7本の渡
船があった。
 向東町はしなまみフェリーだった「彦ノ上渡し」、
「ドック渡し」、肥浜から旧山波間の「小肥浜渡
し」、「桑田渡し」、運航を再開した肥浜戸崎間
の「歌渡し」と5航路が就航していた。
 尾道大橋、向島大橋、しまなみ海道と順次、橋
の開通で渡船は廃れ、戦前12あった渡船が4航路
まで減った。橋と船との共生は尾道水道だけに限
らず、しまなみ海道に横たわる問題で、どう折り
合いをつけるか渡船やフェリーがなくなったあと
では遅すぎる。
 [写真は運航を休止している向島運航]



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