2009年1月1日(木)
結成50年に
 喫茶組合活動再び「産地と消費地」結ぶ
 千光寺 山の手
  再生空き家でサテライト店  
昨年、JCの「尾道大物産展」に組合ブースを出店。みかんの生搾りジュースも好評だった
多々良大橋が臨める森野農園で
 市内の喫茶店などでつくる広島県喫茶飲食生活
衛生同業組合尾道支部(31店舗)が今年、結成50
年を迎える。かつては庶民の暮らしの一部となり、
出合いや情報発信の場でもあった『喫茶店文化』
の再興を掲げ、昨年から「地産地消」の推進など
を進め、今年はさらに山の手にサテライトーショ
ップを開設するなど、新たな事業を模索している。
                 【幾野伝】

 平櫛資正さんの書『尾道乃記録〜明治・大正・
昭和編』によると、県喫茶飲食生活衛生同業組合
尾道支部(尾道喫茶組合)は1959年(昭和34)年
に17店で結成された。しかし当時の店主らは代替
わりや廃業しており、結成の年月日などそれ以上
のことは分からない。
 同記録の同年のページには、スーパーマーケッ
ト「主婦の店」が長江口に登場(2月1日)▽本
通り商店街で第1回「七夕まつり」開催▽尾道鉄
道株式会社社屋新築落成(8月28日)▽尾道チャ
ーチル会結成(11月7日)などの記述も見られ、
他にも「尾道商工業協同組合」や「尾道金属商工
協同組合」の設立など、経済成長の波に乗り、尾
道が経済的・文化的に活気溢れる時代だったこと
がうかがえる。
 尾道での喫茶店は、1934(昭和9)年に重田禮
志・寿美枝さん夫妻によるサロン『日の丸』、そ
の後の音楽茶房『孔雀荘』が起源とされている。
孔雀荘は尾道の文化人が集う銘喫茶店であったこ
とから、組合設立の中心はやはり重田寿美枝さん
だったこと(禧志さんは1951年他界)が推察出来
る。
 組合結成と加入は当時、店舗の改装などで金融
機関から低利の融資を受けられるのが大きなメリ
ットだったという。
 加入店舗の減少などもあり、ここ数年ほとんど
活動が停止していた喫茶組合は、尾道飲食組合へ
の統合が囁かれたりもしたが、「重田さんが培っ
てきた喫茶店文化の想いや灯火を消すことは出来
ない−」と大谷治さん(茶房こもん社長)が昨年
新しい支部長に就任、再び活動を始めたもの。
 具体的には、尾道の産物を出来るだけ使ってみ
ようと「地産地消」を呼び掛ける。秋には各種の
柑橘類を独自で研究栽培、販売している瀬戸田町、
森野裕年さんの農園を組合員で視察するなど、ま
だ手探り状態だが各店での地産地消の取り組みが
始まっている。
 「店で扱う農産物について、直接話を聞くこと
ができ勉強になるし、手塩に掛けて育てられる姿
を見ると、こちらにも自信が湧いてくる」と大谷
支部長。
 森野さんも「尾道(本土)の方々にも、こうい
う農家があることを伝えたい気持ちはあり、ダイ
レクトに繋がれることは嬉しい」と語る。
 昨年6月、新しく組合に加盟した土堂1丁目、
甘味処ととあん(石井千賀子店主)は昨秋、「旬」
と「丸ごと尾道」を前面に出して、尾道山波産の
蓬莱種と因島田熊町の備南酒造の日本酒「本因坊」
を使った新商品「いちぢくの生ジュレ」、続いて
向島産のキウイフルーツを原料に「キウイの生ジ
ュレ」を店頭販売、いずれも好評だった。
 今後は瀬戸田のレモン、夏には岩子島のトマト
でも生ジュレの商品化を試みるという。
 大谷支部長によると、自店ではスイカの加工に
も挑戦してみたが難しく、同じ因島重井町で栽培
が始まっているメロン、市北部のぶどうデラウェ
アなどをこれから研究していく。「地場だからこ
そ安くて良い品が手に入り、よりお客さんには安
心して喜んでもらえるチャンスがある」と話す。
 さらに山の手(千光寺山南斜面)の再生空き家
を使ったサテライト・ショップを今秋にもオープ
ンさせる計画。すでに店名は『スウィーツ・カフ
ェーフォレスト』に決めてあり、秋のグルメイベ
ントに参画したり、活性化のために喫茶店の新規
開業を希望する市内外の人や料理教室に期間限定
で貸し出したり、組合員の出張店などで活用して
いく予定。
 組合店を紹介するホームページ「おのみちアー
トカフェルネッサンス」も立ち上げており、「喫
茶店に行けば、尾道のことが分かるというように
なれぱ、尾道文化の一翼を担えるのでは」と大谷
支部長。尾道の伝統的な喫茶店文化を掘り起こし
つつ、新しい事業にも積極的に取り組んでいく。



ニュース・メニューへ戻る