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2008年1月1日(火) 西久保町の常称寺 中世時宗全国的に遺存少なく 本堂や観音堂、大門が国重文に |
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西久保町、時宗常称寺(川崎誠住職)の本堂や 観音堂など4棟が昨年暮れ、新たに国の重要文化 財に正式に指定された。これで尾道市内で国重要 文化財の建造物は14件となり、「寺の町尾道」が より厚みを増すことになる。 [幾野伝] 常称寺は鎌倉時代後期の正応年間(1288〜93年) に時宗第二世・他阿真教によって創建されたと伝 えられ、重文に指定された本堂は室町中期、観音 堂は室町後期、鐘撞堂は江戸前期、大門は室町前 期の建築とされている。それぞれの建物はのちに 改造されながらも当初材を多く残し、往時の姿を よく伝えていることが指定に繋がった。 尾道市内での、建造物の国重要文化財は、浄土 寺の方丈や山門、庫裏など6棟が一括指定された 1994年7月以来で、13年ぶりとなった。 常称寺本堂は「外観を和様、内部構成が禅宗様 で内陣・外陣と脇陣を一体空間とするなど、中世 時宗の本堂の特徴をよく表している」。併せてご 本尊(市重文・木造阿弥陀如来立像)が納まって いる南北朝時代の須弥壇1.03m)と厨子(2.62m) も同様に県重文から国重文に格上げされた。 1353年建立の大門は同寺の建造物で最も古く、 東久保町、真言宗浄土寺山門(国重文)と肩を並 べる重厚な構えで「当時の寺格の高さを体現して いる」。明治以降、鉄道の山陽本線と国道2号線 で分断されて民家の中に取り残された形になって いる。瓦屋根の傷みが激しく、現在ビニールシー トで風雨を凌いでおり、改修工事が待たれる。 御輿の三体廻しで知られる祇園社も常称寺内に あったが、明治初めの神仏分離で、久保八坂神社 に移った。その名残りで大門の大棟には三体御輿 を象徴する巴紋をのせている。 観音堂と鐘撞堂も「各時代の尾道周辺地域の意 匠的特徴を備え、建築文化の様相を示している」。 これまで未指定だった鐘撞堂は隣接するスミレ幼 稚園の園庭内に位置し、長年子供達の成長を見守 っている。 現在、時宗寺院は全国で約400寺しかない。 さらに中世の時宗寺院は全国的に遺存例が少なく、 中でも室町時代の遺構が3棟も残っているのは稀 少だという。 「地域の方々に支えて、育んで、守って頂いて 700年ほど継承されてきた。沢山の古文書や文 化財を受け継いでおり、時間は掛かると思うが、 さらに次代へ継承するために整備していきたい」 と第41代の川崎誠住職(53)。 旧市街地にあり、古寺巡りコースにも入ってい ながら、これまで市民にも馴染みが薄かった。昨 秋からは、日中は可能な限り本堂の舞良戸を開け ており、「多くの市民や観光客に、気軽に立ち寄 って頂ける寺にしたい」と話している。 今回常称寺が加わったことで、市内の国重文の 建造物は14件、彫刻17件、書跡・古文書11件など 合わせて55件となった。 |