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2007年11月15日(木) 支援者が法人を 根田哲雄さん長年の構想実現へ− 2年後目標に『大林宣彦資料館』 東土堂町の生家北隣に整備計画 |
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映画作家、大林宣彦監督(69)の資料館を尾道 に開設する計画が動き始めた。これまで古里尾道 を舞台に14本もの映画を製作するという、世界で も他に例がない日本を代表する現役の監督だけに、 完成すれば資料館だけでなく、『尾道』の町その ものが国内外から注目されることになる。2年後 の開館を目指す。 [幾野伝] 事業計画によると、東土堂町(千光寺参道脇) の生家北側に隣接する現在大林家などが所有する 建物を全面改修し、映画作品をはじめ監督、夫人 の恭子プロデューサー、美術デザイナーの薩谷和 夫さん(1936〜93年)に関わる資料を収蔵、公開 も検討していく。 尾道での資料館開設に向けた構想を打ち上げ、 具体的な事業計画を提案、推進しているのは、監 督夫妻と20数年来の親交があり、映画《風の歌が 聴きたい》(1998年)の共同製作者でもある根田 哲雄さん(74)。 根田さんは明治大学マンドリン倶楽部の出身で、 建設会社などを多角的に経営、現在は明治大学常 勤理事(財政担当)を務めている。芸術文化特に 音楽に造詣が深く、自らフルオーケストラの指揮 を執ることもあり、20年間チャリティコンサート を主宰した。監督の映画《北京的西瓜》(1989年) では音楽を担当。福岡県大川市にある(財)「古賀 政男記念館」の設立、運営にも深く関わっている。 資料館は(仮称)「大林宣彦の、映画資料館」 と名付け、東京や尾道の支援者らが財団法人ある いはNPO法人を設立し館を整備、運営していく。 10代の頃の自主映画作品から、2000本に及ぶテ レピコマーシャル作品、恭子プロデューサーと二 人三脚で製作してきた全ての映画作品に関わる各 種資料をはじめ、美術デザイナーで《HOUSE /ハウス》(1977年)以降、尾道3部作などを共 に作り、「大好き」だった尾道・西願寺に永眠す る薩谷和夫さんが残した美術関連資料などを展示 する見込み。さらに映画作家を志す若者達への映 画講座なども企画したい考え。 資料館にする建物は約半世紀前に建てられ、20 年ほど前まで看護婦寮(聖華寮)だった鉄筋コン クリート造3階建て(延べ床面積115坪)を全 面改修する。 法人設立の事務手続きと平行して、根田さんを りーダーに開館準備のプロジェクトチームを組織 する。広く協賛寄付金などを募りながらハード面 を整備、ソフト面では現存する膨大な量の資料の 分類・整理作業にも着手していくことになる。2 年後の開館を目指す。 10数年来、構想を温めてきた根田さんは「何と か資料館をと長年願ってきたが、やっと実現に向 け動き始めた。尾道が難しいなら東京か、あるい は恭子さんと私の古里である秋田(大館市)か、は たまた大分(臼杵)かとも思案したが、やはり『大 林監督=尾道』以外には考えられないとの結論に 至った」と経緯を明かす。 「東京では法人協賛者などで『100人委員会』 のような支援する会を作り、浄財も募っていく。 しかし活動の中心はあくまでも尾道の皆さん方で、 私達はサポート役である」との基本的な姿勢を示 している。 「古くから毎年尾道を訪ねて、尾道は私の第二 の古里だと思っている。監督のお父様(医師で尾 道市教育委員長歴任)には生前、色んなことを教 えて頂いた。私が監督のことを『世界のオオバヤ シ』と表現すると、『そんなことはない、謙虚に いかなくては..』とおっしゃったことがある。後 で考えてみればそれは当時、事業が少し調子に乗 っていた私への戒めでもあった。資料館はその頃 からのお父様との約束でもあり、あの時の『謙虚 に』という言葉を胸に計画を進めたい」と語って いる。 今月5日には、関係者とともに平谷祐宏市長を 表敬訪問している。 資料館は空き家が目立つ千光寺山南斜面、山手 地区の『再生の核』になる可能性も充分に秘めて いる。 |