2007年3月7日(水)
『鞆の浦』支援第一弾
「美しい日本の歴史的風土100選」フォーラム
 開発一辺倒に反省の弁
  国交省都市・地域整備局長語る 
フォーラムの様子
鞆の浦の町並みと海
 (続報)全国フォーラムで、鞆の浦と尾道に大
きな注目が−。古都保存法施行40周年記念事業
「美しい日本の歴史的風土100選」の選定記念フォ
ーラムが2日午後、東京・霞ヶ関の弁護士会館大
講堂で開かれ、古い町並みや文化的遺産を活かそ
うと取り組んでいる全国の自治体や住民、学者ら
800人が参加した。パネラー3人が、瀬戸内・
鞆の浦の時代に逆行する埋め立て架橋計画につい
て改めて異論を展開、「歴史的風土は住民だけの
ものではなく、世界共通の財産。類い希な港町を
守ろう」と全国に向け、メッセージ第一弾を発信
した。
    [鞆まちづくり工房取材協力、幾野伝]

 古都保存財団の平山郁夫会長が顧問を務める
「美しい日本の歴史的風土100選」実行委員会が主
催。式典で田遵昇學実行委員会会長が「国民共有
の次代に守り伝えるべき歴史的風土を活かした町
づくりは、21世紀の我が国の最重要課題、責務で
ある。真に豊かで美しい日本の国土が実現される
第一歩になることを願っている」と主催者あいさ
つ。後援している国土交通省の中島正弘都市・地
域整備局長が「地域の優れた歴史的風土は古都だ
けではなく、全国にある。国交省はこれまでの自
らの行いを深く反省して、美しいということを継
続テーマに掲げ取り組んでいる。平成6年に美し
い町づくり懇談会を作ったが、美しいということ
を序でにやるのではなく、本来の目的としてやる。
美しくない電柱や看板、ガードレール、テトラポ
ットなど、我々の仕事の過程で作ってしまったと
いう反省がある」とこれまでの開発一辺倒の土木
政策に誤りがあったことを認め、「景観法を作っ
た。地域の歴史や文化を認識し、活かし、大事に
していくことがこれからの基本である。各地城の
素晴らしい景観風土を、次の世代に引き継げるよ
うに努力したい」と語った。
 今回全国から698件の応募があり、選定委員
会によって鞆の浦や尾道も選ぱれた「美しい日本
の歴史的風土100選」や同準100選の代表者に、
認定証が手渡された。東京大学名誉教授で選定委
員会委員長の高階秀爾・大原美術館長が先進ヨー
ロッパの町並みを紹介しながら「美しい歴史的風
土−自然人間・文化」の演題で基調講演した。

世界共通の財産
オンリーワンの鞆港
 「住民だけのものではない」
 続いて4人の選定委員がパネラーとなって、
「美しい日本の歴史的風土の保存と継承」のテー
マでそれぞれ持論を展開した。時間不足で各氏が
今最も問題だと思っているテーマを駈け足で紹介
したが、尾道と鞆の浦に縁が深い陣内秀信・法政
大学工学部教授、尾道出身の毛利和雄・NHK解
説委員、アレックス・カーさん(東洋文化研究者)
の3人が鞆の浦の埋め立て架橋計画について次の
ように触れた。

陣内秀信教授
 21世紀は価値観が大きく変わり、都市づくり、
地城づくりにも新たな視点が必要になっている。
自然の恵みと歴史、資産を活かすことが大切で、
人間の作った文化、建物や町並みとその板になっ
ている自然の両方を含めた「風土」がキーワード
になる。ところが日本は自然にこだわる人と町並
みや建築にこだわる人とが、専門家でもNPOで
も行政でも分かれてしまっているが、その一体化
が必要。
 近代は陸の時代になって、川や海や掘割りが使
われなくなり、関心が無くなってどんどん壊され
た。それをもう一度取り戻す必要がある。
 日本では古都保存法でも世界草産登録でも、人
が暮らしている場所を対象にしているのは、唯一
白川郷だけ。京都にしても庭園やお寺やお宮が対
象で、人が住んでいる場所ではない。ところが世
界に顔を向けると、中国でもイスラム圏でもヨー
ロッパでもアフリカでも、人が住んでいる都市が
世界遺産になって生き生きとしている。やはり日
本もそれを目指すべき。
 尾道は地中海の海洋都市、アマルフィーにとて
も似ている。しかし海に対する関心が無かったこ
とから、港の周りの空間はどんどん壊されていっ
た。町の内部には井戸やお宮やコミュニティーが
あり、中世の面影が今も潜んでいる。古い町が近
世に張り出していき港町を作った。潮の干満に対
応できる階段状の「雁木」がもし残っていれば、
尾道も世界遺産の候補になっていただろう。あい
にく壊してしまったが、壊した後で気付いて市長
さんも歴史遺産を大切にしようと行政の中に世界
遺産課を作った。少し遅かった気もするが、でも
頑張って欲しい。
 鞆の浦も大好きで、若い頃から度々行っている。
万葉の時代からの潮待ちの港。入江の形がいい。
背後に山があって高台には神社やお寺があって、
波止場や雁木の船着き場は野外劇場のように出来
ている。常夜灯があって、ドッグにあたる焚場も
あって、近世港町の5点セットが全て残る類い希
なる、世界的にも非常に珍しい町。港は時代の要
請に合わせて非常に変わりやすく、地中海でも古
い港は残っていない中で、近世のものが残ってい
るのは驚きである。
 瀬戸内の港町の内部の調査や研究は進んできて、
守ろうとなっているが、港周辺には関心が低かっ
たのでみんなコンクリートで固められた。鞆は幸
い港もいい、内部の町もいい。こういう所は全部
をトータルで守っていかなくてはいけない。
 内部の道が手狭で危険だから、海に橋を架けて
一部を埋めようというバイパス計画がある。地元
の方々、全国の関心のある人達が何とかして欲し
いと大変な問題になっている。世界的な組織のイ
コモスも専門家が来て「素晴らしい港町」とお墨
付きを出し、橋を架けないで欲しいというメッセ
ージを発している。

毛利解説委員
 埋蔵文化財や考古学を
 主に追い掛けてきたので、国土交通省と聞くと、
「開発で壊される」というイメージで身構えてし
まう。しかし時代が変わって、開発からいかに守
るかというより、今後は歴史的遺産をいかに活か
した町づくりをするかが大切。中学高校は福山に
通ったので、鞆の浦にはハイキングや海に出掛け
たり、祖母が鞆の出身なので他人事とは思えない。
景観や歴史遺産は、そこの住民のためだけではな
く、国民共通の財産であるという認識が要る。
 江戸時代の港湾施設が残り、古い良さを活かし
て町づくりを考える鞆の人達は「橋ではなくて山
側のトンネルを」と言っている。
 私の古里である尾道は、坂の町で有名な景観が
あるが、駅前のマンション計画がきっかけになっ
て、景観を守る条例、景観計画を作った。雁木は、
しまなみ海道の開発時期に再現されたもので、残
念ながら海岸沿いはすっかり姿を変えてしまった
が、鞆には今でも雁木がそのまま残っている。尾
道は歴史的な都市というイメージは強いが、実際
の歴史遺産はほとんど無くなってしまった。
 (千光寺山を示しながら)山の中腹にまで家が
建つ独特な景観は、神社仏閣は中世に遡るが、民
家は大正時代の豊かな商家の人が作ったもの。都
市は変容していくものだが、景観法による各都市
の景観条例が今後の日本で大きな意味は持つこと
になろう。

アレックス・力−さん
 鞆の浦は「オンリー・ワン」である。日本に最
後に残る江戸の港。住民だけのものではなくて、
全国民にとっての遺産を、その時の市長が決めて
壊してもいいのか。文化庁も国交省も指示権を持
っていながら誰も手を挙げない。何とか自分達で
頑張って地域を守るために手を繋いでいきましょ
う。



ニュース・メニューへ戻る