2006年12月15日(金)
 小林和作と楠瓊州展
  相反した人生を歩いた2人
展示の様子
 尾道市立美術館で「小林和作の世界−和作と瓊
州展」が開かれている。来年2月4日まで。
 和作画伯と生前、肉親以上の付き合いをして作
品を集めていた東京の丹下重米さんの遺族が油絵
22点、水彩25点など総数90点の絵画と和作画伯か
ら丹下さんに送った書簡100点を市立美術館に
寄贈、初公開されている。
 第3回現代美術展に出品した「高原」や昭和28
年、芸術選奨文部大臣受賞のきっかけとなった
「海辺の丘」など意欲的な作品が多い。
 丹下氏に宛てた手紙やハガキは日付が入ってお
り和作画伯の当時の心境を知るうえで貴重な資料
で昭和30年代前半、売れっ子作家だった頃、故郷
のお年寄りにポーンと300万円を気前よく送り
びっくりさせたり、丹下氏にも1000万円の絵の予
約が入っており、これからは自分の絵を家に残し
た旨の書簡を送っている。丹下さんは和作画伯の
「海辺の丘」をこよなく愛し、何度も何度も模写
した作品が自宅に残っていた。市立美術館で和作
画伯の所蔵作品はこれで350点となった。
 寄贈された中に神辺でかって作られ、今では現
存してない幻の焼き物と言われている「姫谷焼」
の皿もあり、展示されている。
 和作画伯とは4才年下の瓊州は長江の呉服商の
家に生まれた。昭和9年、和作画伯が尾道に居を
構えた、その年瓊州も帰郷し2ヵ月滞在したが顔
を合わすことはなかった。その後、尾道に帰るこ
とはなく東京で亡くなった。瓊州が評価されたの
は亡くなってからで評論家、河北倫明に見いださ
れ富岡鉄齊と並び称されるまで評価が高まった。
 2人には共通したものと相反したものがあり森
重彰文美術館長は「和作画伯は油絵を描くのに日
本画の手法を、瓊州は日本画に油絵の表現方法を
取り入れている。瓊州は生涯、貧乏との戦いでし
たが和作画伯は物質的には恵まれていた。同時代
を生きながらまったく異なった人生を歩んでいる。
2人の作品を一堂に集めた尾道ならではの作品展
で足を運んでください」と呼びかけていた。

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