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2006年9月6日(水) 寄稿 原作者、山中恒さん(1) 《転校生》あれから二五年 |
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「尾の道を第二の故郷と定めたり。″あの夏の 日″よ、波の光よ」。映画《転校生》の原作「お れがあいつであいつがおれで」の作者、山中恒さ ん(75)=神奈川県藤沢市=が7年前に書き記し た一文。《さぴしんぽう》の「なんだかへんて子」、 《あの、夏の日》の「とんでろじいちやん」と大 林宣彦監督の尾道作品の基を生み出した児童読物 作家。常に「平和と自由と真実」を社会に追求し 続けている歴史学者でもある山中さんに寄稿頂き、 今回の《転校生》の連載シリーズを締め括る。 [幾野伝] ぽくが初めて尾道を訪れたのは一九八一年八月 一九日のことで、大林宣彦監督から映画『転校生』 の原作者としてロケ現場の尾道に招かれたのだ。 当時の日記には「9時25分発ひかり133で、剣持亘 さん(『転校生』のシナリオライター)といっし ょに尾道へ行く。3時過ぎ尾道につく。人口10万 の落ち着いたいい町だ」と書き出している。 その前年の四月、ぽくは八年がかりで戦時下の 教育を総括するノンフィクション『ポクラ少国民』 (全五部・補巻を除く)を完結させ、同時に映画 『転校生』の原作となった『おれがあいつであい つがおれで』の連載を完結させた。だが、その 一〇月、家内がクモ膜下出血で急逝した。 そんな心理的にも暗く、自分の近い将来すら見 通しの立てられない寄る辺ない状態の、ぽくを癒 してくれたのは、大林夫妻だったが、同時に懐か しく、穏やかで、やさしい雰囲気にみちた尾道の 町のたたずまいだった。荒っぽい時代の波をさけ て、優しい陽光に抱かれて、大事に育まれたよう な、昔からの暮らしが営まれている人々との出会 いと笑顔だった。 映画の原作となった『おれがあいつであいつが おれで』も、実はノンフィクション『ポクラ少国 民』とは無縁ではなかった。『ポクラ少国民』は 最初は井上光晴の個人誌「辺境」に一九七二年か ら連載されたものであるが、そのころぽくの世代 は四〇代にさしかかり、それぞれの社会分野で中 堅どころになっていた。その時、同世代の教職員 の多くから「今の子どもはだらしなくて、女は乱 暴、男はめめしい。おれたちの子ども時代からは、 想像もつかない」と聞かされた。つまり自分たち の受けた教育は厳しくりっぱだった、それを戦後 の教育がダメにしたといわんぱかりなのである。 その「おれたちの子ども時代」というのは、ま ぎれもなく戦時下に「少国民」と呼ぱれた時代の ことで、その時、少国民の錬成と呼ぱれたのが、 国民学校の教育だった。それはよりよく生きるた めの教育ではなく、天皇陛下のためにいつでも死 ねる覚悟をさせる「死のしつけ」だった。つまり どの国よりも日本が尊く、現人神天皇は世界の主 であるとする国体原理主義絶対の信仰を根付かせ る暴力的しつけであった。それまで男子は天皇の 兵士の卵らしく、女子は銃後を支える「皇国のお みなえし」らしく、それぞれの本分を守って育成 される教育だった。 しかしぽくは、みんなが、その戦時下の教育が ひどくぱかげたものであったことを忘れて、妙に 懐かしく思い返していることに怯えた。よく考え てみると教職に就いた者たちは、ほとんどが旧制 中学から新制高校に自動的に編入された者で、当 時としては数少ないエリートたちで、国民学校 (小学校)時代は優等生で、例外なく教師のおぽ えめでたく、優遇された経験者なのである。ぽく は同時代のこの考えに怯えて、「君らも、あのひ どい錬成教育の実態を思い返してみたらいい。少 国民とよばれた自分たちが人間扱いされなかった あの時期の教育の実態を思い起こしてほしい」と いう意味で、戦時下の初等学校教育を検証するた めに、ノンフィクション『ポクラ少国民』シリー ズに取り組んだのである。 と同時に彼らの口から出た「男らしさ・女らし さ」の「らしさ」が失われたということにこだわ った。つまり彼らの意識の中には、「男は男らし く、女は女らしく本分をわきまえなくてはならな い」という戦前の価値判断が息づいていたのであ る。ぽくがひっかかったのは、その「男らしく・ 女らしく」の「らしく」だった。彼らの言い分は、 戦後教育の中では、男女共学・機会均等・人格尊 重がうたわれたために「男らしさ・女らしさ」の それぞれの「らしさ」が失われたというのである。 しかし、彼らのいう「男・女らしさ」は封建的 な外観的な男尊女卑につながるもので、ぼくは受 けいれがたかった。これに対抗するには「男の子 にとって魅力的だと思われる女の子、女の子にと って魅力的だと思われる男の子」という形を打ち 出すことである。しかもそれは一律に固定化され たものではなく千差万別であることを認めること により、個人の尊重、アイデンティティーが確立 されるものであることをぽくは児童読物で表現し ようと思って『おれがあいつであいつがおれで』 を書いた。つまり男である・女であることをハン デとしない子たちの魂の自由をうたいあげたかっ た。それこそが民主主義の土壌になると思ったか らである。 たまたま、その児童読物が大林宣彦監督の目に とまり、映画『転校生』に化けたのである。大林 監督は、ぽくのこの気持ちを100パーセント生 かしてくれて、まさに平和な尾道を背景にして、 あのすぱらしい青春映画を作ってくれた。これを きっかけにして、ぽくと大林監督がコンビを組む ようになった。 (つづく) |