2006年9月1日(金)
寄稿 大谷治さん
《転校生》はいかにして生まれたか.4-1
 茶房開き自らの転機と重なる
  大林監督と薩谷美術監督に共感
 長江口、茶房こもんを経営する大谷治さん(54)。
映画《転校生》の撮影が行われる4年前の197
7年秋、脱サラして今の店をオープンさせた。そ
の後の大林宣彦監督・恭子夫人、薩谷和夫美術監
督との出会いや深い親交が、茶房の人生にも大き
く関わってくることになる。    [幾野伝]

大林宣彦監督との出会い
 昭和56(1981)年8月6日朝、確か木曜日、
茶房こもんで映画『転校生』のワンシーンの撮影
が行われました。原爆記念日でした。
 尾道の暑い夏の一日、私にはわけもわからない
人々が、わけもわからないストーリーをもくもく
と撮影していました。あとで出来上がった作品を
見てわかった事ですが、男と女が入れ替わり、少
女一美役の小林聡美の肉体の中に、尾美としのり
演じる一夫の魂が住み着いてしまうというファン
タジーです。最初の頃は映画そのものが目の前で
繰り広げられると思い楽しみにしていました。期
待に反し、同じ事をなんどもなんども繰り返し、
一向にストーリーがわからないまま夕方になり、
結局撮影は無事終了ということになりました。
 大林監督のお母様、大林千秋さんがカウンター
の角で撮影の様子をやさしく見ておられ、印象的
でした。私はスタッフをただ眺めているだけでし
た。大林監督と確かな出会いはこもんでのこのロ
ケでした。

尾道愛した薩谷和夫美術監督との出会い
 こもんでのロケの10日ぐらい前の事、店をデザ
インしてくれた、高橋純治氏からの電話で、様々
な小道具の問い合わせがありました。
 小柄な背丈、当時大人では珍しい、半ズボンに
ゴム草履、首タオル姿、それにチョビ髭の中年男
性が現れ、それを見せて欲しいと言われました。
大変恐縮され、また礼儀正しく、このような丸い
お膳で決して高級でなく又新品でなくと言葉を選
びながら説明されました。結局、屋根裏の納屋に
案内し見ていただく事になりました。すぱらしい、
すばらしいと連呼され、結局丸いお膳と、すだれ
の間仕切りを大事そうに持って行かれました。
『転校生』の一夫の家での団らんに使用されてい
ました。夏の暑い日で、なるほどこの中年男性の
服装は、屋根裏用に準備されているんだと妙に関
心した思い出があります。この人こそが美術監督
の薩谷和夫さんで、その後薩谷さんは住人以上に
この屋根裏の納屋の常連客になりました。

監督や薩谷さんから教わり映画12本を手伝う
 映画の職能を監督、キャメラ、大道具とか小道
具しか知らない当時、映画は、このようにして現
地調達をして撮影されるものだと知りました。薩
谷さんは心から尾道を愛しました。色々なところ
に現れ、すぐに家族のように仲良くなりました。
地元の私たちでも知らない事や、美しい場所、又
より美しく見える時間などを熱心に教えていただ
きました。この町が良いんだ、この町でないとだ
めなんだと幾度となく聞かされました。時には、
田舎独特の妥協点の低さや、仕事に対する時間の
甘さを、厳しく叱責されました。映画の現場は真
剣勝負なのです。
 当時は監督の同年代の方々が中心になり、よっ
てたかってお手伝いをされました。血の通った筋
金入りが、映画を支えたような気がします。私は
皆さんと歳が一回りも違い、まさに使い走りを買
って出ました。当時29歳、店を始めて4年。夢を
描き独立して、又生き残っていくために、がむし
ゃらに働いていた時期でした。同じく夢を描き、
映画作りに人生を賭け、情熱的に働く薩谷さんに、
強い共感を覚えました。
 映画『さびしんぽう』で使われた西願寺が見え
るからと、日当たりが悪く西日が当たるホテルの
部屋を定宿にしていた薩谷さん、今ではその西願
寺で永眠されています。わたしは振り返ると、監
督や薩谷さんの教えのおかげで、12作品のお手伝
いをさせていただく事が出来ました。
                  [つづく]



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