2005年8月27日(土)
「尾道鐵道の軌跡」
「消えた鐵路」から我々は何を学ぶか
 元職員 前田六二氏が市に寄贈
  伝えたい 中国横断の鐵路夢みた当時の財界
床に絵を広げて見る市長
尾道駅を西の空から見下ろした形の絵図
 尾道鉄道の元職員前田六二さんは25日午前11時、
山戸重治市議と共に市長室で亀田市長に会い、
「尾道鐵道の軌跡」38冊を市に寄贈した。
 詳しくは前田さんの序文に譲るとして、往時の
沿線風景を尾道大学芸術文化学部美術科の花本和
之さんの筆によって「絵巻物」に再現・製作し、
その絵巻物を縮小した印刷物として「尾道鐵道の
軌跡」を刊行したもの。
 この製作に至った熱意からだけでも、前田さん
らの「尾道鉄道」への愛情と思い入れの深さを伺
い知ることが出来る。市では、図書館をはじめ大
切に保存・管理し、子ども達への学習にも役立て
たいと礼を述べた。
 絵巻物と一緒に、次の前田さんの一文を同刊行
物に掲載している。
(前略)尾道を起点とする中国横断の鎌路を敷設し
似て地方発展に寄与せんという壮大な意図のもと
に始まった同社の営業当時の勇姿を後世に伝え、
創業時の人々の意にむくゆるべく、当時の様子を
絵巻にあらわし残すこととした。鉄道や沿線風景
の写真を尋ね、自らの記憶を辿り、出来得る限り
忠実な形で作製したのが本巻である。絵は幸いに
して尾道大学芸術文化学部美術学科学生花本和之
氏の協力を仰ぐことが出来た。
 時あたかも福山の広島県立歴史博物館において
「ひろしま鉄道大集合」展が、平成17年7月15
日より同年9月10日まで催されることとなり、そ
の一画に展示された尾道鐵道の資料を目にして、
時代の移り変わりと時の流れの速さとをしみじみ
感じたものである。
 明治初年の頃まで、人・物資の移動の手段は人
力または牛馬の背によるものであったが、世の近
代化にともない、動力によって安全かつ大量の旅
客・物資の流通が可能となった。
 明治45年3月、港町尾道と備後北部さらには
雲・伯2州との旅客・貨物移動の手段として鉄道
を敷設し、尾道をその集散地とせんとの企ておこ
り、橋本吉兵衛他241名の尾道市及び近隣の経
済界の有志により尾道軽便鐵道株式會社(のちの
尾道鐵道株式會社)が組織され、鎌道敷設免許の
申請が行われた。その後、工事施行認可、着工と
なったが紆余曲折があり、やっと大正14年11
月1日に至って、西尾道〜石畦間の営業が開始さ
れ、順次路線延長して、尾道〜市間17.1キロ
メートルが全線開通したのは昭和8年3月18日
のことであった。
 爾来、同社は地域の人々の生活を支える傍ら、
事業を通じて地域社会の発展にも貢献していたが、
自動車交通の発達によるバス路線との競合が鉄道
利用客の減少を招き、昭和32年2月には石畦〜
市間の営業を廃止するのやむなきに至った。
 その後も時流に抗しつつ尾道〜石畦間の営業を
続けていたが、それも昭和39年6月18日をも
って廃止し、以後はバスによる旅客輸送事業一つ
に携わることとして、ここに尾道鐵道株式會社は
地方鉄道事業から撤退したのである。奇しくもこ
の昭和39年は新幹線東京〜新大阪間営業の幕開
けの年であった。
 同社はその後昭和41年1月にニコニコバス株
式会社と合併し、さらに社名を中国バス株式会社
と改めるなど数奇な運命を辿りながら尾道市や周
辺の町村の発展・繁栄に貢献し続けてきた。
 今ここに尾道鐵道株式會社のこうした軌跡を1
巻の絵巻として残すことで、この百年間の尾道の
歴史と重ね合わせた後世へ語り継ぐ材料ともなれ
ば望外の幸せと存ずる次第である。
平成17年8月1日
 (住所略)   前田六二

転載責任者メモ:尾道市立中央図書館に行くと、この鉄道を含む尾道の歴史に
        関する本のコーナーがあります。当時の鉄道の様子を写真で
        面白く見たことがあります。
        (尾道市立図書館は今年、尾道市立中央図書館となりました)
        <市の合併で2軒になり、それらを区別するため


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