2005年7月17日(日)
17日から公開
大和の船首

砲塔と千光寺山山腹
 終戦60年の節目の年に、改めて人間の生き方を
通して平和について考える映画「男たちの大和」
のロケセットの公開が、きょう17日から始まる。
 セットは昨年暮れから4ケ月間、総工費6億円
をかけて、全長263mの大和の艦首(菊の紋入
り)から190mを、合板で忠実に実寸で再現さ
れたもの。
 東映から担当者が来尾し、汚れを取り公開に備
えている。午前9時から。大人500円、小人
300円。

もう1つの見もの
 日立造船向島西工場の正面を入って、すぐ右側
にシャトルバスの乗り場と右奥に駐車場が用意さ
れ、見物客はシャトルバスで構内800mを誘導
され、ロケセットに到着する。
 その間、戦後60年近くも瀬戸内海の主要産業だ
った″造船の産業遺構″のスゴサ(体育館の数十
倍の巨大さ)を目の当たりにしながら、千光寺山
を借景にした巨大な戦艦大和に導かれていく。
 この尾道らしいストーリー性が″もう一つの見
もの″になっているが、もちろん、フェリーで往
くのが『尾道』である。


「公開」是か非かでひと言
  ブレーキより『ハンドルの遊び』
 この世の中のありとあらゆる事象には、コイン
に表と裏があるように必ず最低でも二つの見方が
ある。6月29日付け本紙2面で、幾野傅記者が
「大和ロケセット公開に反対する意見」を述べ掲
載した。
 この記事によって、サンニチは公開に反対して
いるのか?(ケシカラン)という短絡的な非難か
ら、「全く同感です」という市民・読者の意見ま
で様々な反応があった。本紙としては、両面の反
応があることが極めて当たり前かつ正常であると
認識している。
 憶い起こせば昭和50年代の終わりから60年代の
初めにかけ、新幹線が素通りし島々を三原に奪わ
れ斜陽化に拍車がかかった尾道は、新駅待望論一
色であり、佐藤守良代議士は″新幹線代議士″の
異名をとっていたほどであった。
 この時、本紙では「新幹線新尾道駅設置に反対」
という故小野鐵之助氏(文化協会長)の寄稿を掲
載したことがある。
 また、当時「山陽余韻」を隔日で執筆していた
余韻子も「福山と三原の二つの停車駅を上下に持
つ尾道が、停めろというのは東京の人が品川にも
新宿にも停めろといっているよりも可笑しい」と
の持論を述べた(信念)記憶がある。
 あれから(昭63)20年近い歳月が経ち、すでに
歴史の検証期に入ろうとしているが、70億円近い
巨額の投資の費用対効果と、尾道のまちづくり全
体の方向性の中で、果たして『どちらが正しかっ
たか?』、すでに答えは出ようとしているのでは
ないか?。
 要は『一色』というのが最も危険なことである
という、ごく当たり前の思考法が求められている
にすぎない。第二次世界大戦の最大の教訓も「戦
争一色に塗りつぶされた」ことにあり、最大の戦
争責任は『それに協力したマスメディア(当時は
大・中の新聞)にある』というのが筆者の考え方
(反省と教訓)である。
 ただし、これらを駅前の雁木や海岸商のマーケ
ットの問題とすぐに短絡的に結びつけるのは、余
りにも旅人的な情緒論にすぎない。
 40数軒分のマーケットの9割が荒廃しており
(反対者は自ら出店せよ)、また雁木を往時に再
現させる必要性(船着き場としての機能の必要性)
やその技術力と予算(費用対効果等)に思いをせ
ずに、一つの「情緒論」のみによって「やみくも
に残せ」というのは余りに現実無視である。
 であっても、そういう意見があるということが
車でいえばアクセルとブレーキのうち、プレーキ
の役割を果たしてくれるのであり、アクセルかプ
レーキか(○×か?)という議論は筆者がいつも
言うところの『不毛の議論』に近く、現実の世に
あっては『ハンドルの遊びの部分の重要性』にい
つも心しなければいけないということではないだ
ろうか(バランス感覚の重要性)。

転載責任者メモ:「もう1つの見もの」を書いて下さるのが地元紙ならでは。
        普段は入れない造船所の中をジックリ見てきたいと思います。
        映画スタッフの食堂であったという「圭ちゃん食堂」には何を
        置いているのかも興味あり・・
        詳しい情報はこちら>尾道観光協会のページ


ニュース・メニューへ戻る