2005年3月4日(金)
明治28年の新年号
萬問屋渡橋善兵衛がスポンサー(?)
 「實業新聞」が見つかる
   今で言う折り込みチラシ。中身はビッシリ
誌面
 趣味としての切手収集から尾道の古い郵便物ま
でを収集して「尾道の歴史」を発掘している尾道
市文化財保護委員天野安治さんがこのほど、萬問
屋渡橋善兵衛スポンサーの「實業新聞」第三号を
入手した。明治27年11月27日逓信省認可で、
1枚もの2つ折り4ページの紙面の中に、市制誕
生3年前の尾道がぎっしりと詰まっている。
 昨年3月14日付けの本紙で「広島県最初の新
聞見つかる」を報道し、天野論文を掲載している。
これは明治4年以降のことで、「日注雑記」はい
わぱ国の広報をそのまま県の広報に移し直した広
報雑誌に近く、この「日注雑記」と元になる国の
広報誌と「日注雑記」後の「広島新聞」(明5)
の珍しくも貴重な3点セットが、広銀跡のおのみ
ち歴史資料館に展示される予定になっている。
 この新聞草創期から20年以上が経過し、当時
よりもやや新聞らしくはなっているものの、発想
としては新聞折り込みのチラシに近いといってよ
い。
 チラシのスポンサーが「備後尾道港 萬問屋
渡橋(おりはし)善兵衛」で、この萬問屋の宣伝
(商品市況)が内面(なかのめん)の2〜3ページ
に掲載され、外の面の1ページと4ページがやや
新聞らしい体裁になっている。
 逓信省認可の明治27年11月27日以降の第
3号になる「實業新聞」は、明治28年1月1日
号の「新年号」にもなっている。
 広島県備後国御調郡尾道町字十四日七七六番地
が實業新聞社の所在地。発行兼印刷人は村上儀助、
編集人は唐川儀右衛門となっているが、内面で
「謹で多祥なる新年を祝す 一月一日 實業新聞
社 田辺益太郎 辱知諸君」とあり、田辺益太郎
が「主筆」ともみられる。
 「本誌は毎月六回(五、十、十五、二十、二十
五、三十日)発行。一枚定価五厘、郵税五厘。広
告料一行四銭〜六銭」と社告している。「本誌」
と記述しており、新聞用語として使われている
「本紙」ではないところからも、この当時はまだ
「雑誌、広報誌」といった感覚(今で言う新聞紙
ではない)なのが分かる。

橋本、天野、鳥居のご三家
 軍事公債応募で"突出ぶり"

 新聞というものは、日々のニュース報道やその
他の記事の方が価値があると一般的にはみられて
いるが、時間的経過の中では「広告」の方にニュ
ース性も含めて圧倒的な価値がある。
 従って、4面の広告から紹介すると「初相場」
2段通しで「尾道港戎町山本利七(本紙注=商店)」。
畳表一覧表。
 同じく「相場」で尾道薬師堂町 松本栄七。
 「新年の挨拶広告」が「尾道商業学校 佐藤信
政」、「京都大仏北御門角 陶器店洋吉 吉岡吉
兵衛」、「伊万里尾張卸美濃其他陶器類買 備後
国尾道港 佐藤政兵衛 大阪西区靭上通り一丁目
一番地佐藤政兵衛支店」、「北国北海航海汽船取
扱所 三澤回漕店」の6件の広告が載っており、
その1つ1つが非常に興味深い。
 1面のトップ記事は「明治二十八年を祝す」、
「大元帥天皇陛下萬々歳」、寄書で長崎の朝鮮貿
易商兼荷受問屋 吉川文七からの「祝賞業新聞」
を載せ、最後が雑報(これが唯一のニュース記事
といえる)で、尾道町軍事公債応募額(応募状況)
を載せている。
 千円以上の多額応募者は上記別表の通り。
 (別表転載省略します 転載責任者
さらに「尾道築港工事」の様子と、「尾道精米所」
開設の記事を掲載している。
 1面と4面のページの間に「尾道町字丹花 岸
本興十郎 宮内省御用 尾道名産衛生飴」の広告
がある。
 内面は萬問屋の全面広告といってよく、同問屋
扱い全品の初相場一覧表になっているが、その扱
い商品の多さが驚きであり、昔の尾道の豪商は今
で言ろ大手の総合商社に近いということが、この
「實業新聞」からもよく分かる。
 米穀、雑穀、肥料、食塩、砂糖、乾物、鰹節、
表(畳)、四十物(魚類から干物まで)、綿から
石油などの雑品(34品目)の値段表を掲載して
いる。
 天野さんは「当時の尾道の商人や商売の状況が
よく分かる貴重なものが見つかり喜んでいる。歴
史資料館に是非、並べて展示してほしい」と話し
ている。
 山陽日日新聞の前身が誕生したのが、尾道市制
施行に40日遅れる明治31年5月10日で、こ
の實業新聞はこれに遡る3年前ということになる。



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