山陽日日新聞ロゴ 2004年11月13日(土)
「百島神楽書抜帳」も発行
 「ふるさと百島」第2集発刊
  島の暮らし振りや民話、わらべ唄
表紙
 百島ふるさと文化史研究会(藤本一二三会長)は
ふるさと百島の第2弾として「くらしとうつりかわ
り」と「百島神楽書抜帳」の冊子を発行した。
 公民館の生涯学習で地元の産業、文化、歴史など
調査研究している百島ふるさと文化研究会が平成14
年に発行した「ふるさと百島」に次ぐ第2冊目の
「くらしとうつりかわり」では「苦難に耐えた庶民
の暮らしに視点を置き、郷土百島の自然と生活文化
発祥の地を掘り起こすことに務めた」(あとがき)
と述べている。
 A4版、39ページ。
 百島の自然や歴史、昔からの漁業や農業と厳しい
暮らし振り、こと細かな塩田の作業工程、お弓神事
の由来、百島の「わらべ唄・民話・伝承」が掲載さ
れている。
 ふるさとの歩みを知るうえで民話、わらべ唄など
は今、記録にとどめておかなくては忘れ去られてし
まい、13人の会員が精力的に取り組み、編集した。
 福田海老呑地区の故佐藤惣治郎さんから聴いた十
文宇山にある、くぼみ「へぴだお」の由来。「一で
俵を踏んぱえて、二でにっこり笑うて、三で酒を造
って」と百島の「亥の子唄」(わらべ唄)、老婦人
から聴き書きとめた「百島のおじやみ唄」など貴重
な資料が収録されている。
 カラー写真をふんだんに使い、330部制作。
 一方、「百島神楽書抜帳」はA4版、98ページ。
 百島神楽の台詞の台本は神楽の練習の時に先輩よ
り口伝えで覚えたもので統Tされた資料もなく、又、
指導される先輩によって同じ演目でも台詞に多少の
違いがあり、そのあたりを含め、編集した。
 「悪魔払い」から始まり「天神地祇」と20の舞い
の台詞が収められている。
 藤本有さんの解説では備後神楽の元は備中神楽で、
本場備中神楽の舞は静かで優雅。これに対し百島を
はじめ山波、浦崎など備後地方の舞は激しく勇まし
く「喧嘩神楽」と言われているという。
 百島神楽の起源は定かでないが古老によると明治
35年(1870)頃で、しかし神楽の内容、舞人な
どは不明。大正元年(1912)には2つの神楽団
があり、1つは泊地区にあり、福山市から来たと言
われている藤本新太郎、岡崎又左右衛門の2氏が世
話役となり昭和元年(1926)頃まであったが後
継者不足で廃れてしまった。
 大正元年には福田地区にも神楽があり、この神楽
は檀上源助氏、旗手源三氏兄弟が浦崎で習得、百島
に持ち帰り百島神楽保存会として2代目、武田春光
氏、3代目武田博氏、4代目渡辺俊三氏と受け継が
れ平成4年(1992)より百島神楽団に改名して
いるという。
 「百島神楽書抜帳」は140部制作。
 2冊とも調査研究、執筆、編集、印刷とすべて手
作り、パソコンを駆使し、カラー写真もキレイに出
ている。



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