山陽日日新聞ロゴ 2004年10月28日(木)
川口協治さん
高橋玄洋原作の「評伝小林和作 花を見るかな」
 漫画で後世に残す偉業
  人間和作の魅力と偉大さ伝えたいと
表紙協治さん駅前モニュメント前の川口兄弟
登場人物
 人間小林和作の偉大さとその生き様を、地元の
人達に末永く伝えたいIという関係者の思いが結
実し、1冊の漫画本が完成した。高橋玄洋原作の
「評伝小林和作 花を見るかな」を、川口協治さ
ん(56)が家業のガソリンスタンド経営の傍ら、
6年の歳月をかけて描き上げたもので、和作忌の
11月4日から発売される。
 出版に至るまでの物語は、6年前の平成10年2
月1日まで遡る。もともと、和作先生の偉大さを
後世に伝えるため、玄洋先生の労作をなんとか1
冊の漫画に出来ないものか?という話は、啓文社
の手塚弘三社長の周辺にずっと在った。
 6年前の2月1日、埼玉県の高橋玄洋さん(尾
道出身、劇作家)宅を、漫画家のかわぐちかいじ
さんと双子の兄弟の弟川口協治さん、それにビサ
ンゼセッションの大崎義男さんの3人が訪れた。
用件は玄洋さん原作の漫画化。
 本業であるかいじ氏が連載を多く手掛けており、
時間的にも無理だということになり、他の漫画家
では「人間小林和作と尾道の空気が伝わらない」
として、地元で4コマ漫画などを描いていた弟の
協治さんに白羽の矢が立った。
 当時を回想して協治さんは「長編の1冊の本を
描きあげる自信はなかったが、自分しかいないと
覚悟し、自分にとってもこれが最後のチャンスか
もしれない」と思って引き受けたと話す。
 それから6年間の長い産みの苦しみが始まる。
原作を基本としながらも漫画として描きやすいよ
うに..という玄洋先生の了解を得て、最初のゲラ
(下描き)が出来るまで4年の歳月がかかった。
 昨年の和作忌で、60ページあたりまで進んで
いる原画の一部披露があったが、そこにはすでに
漫画家かわぐちきょうじの鬼気迫る真剣さに周囲
が圧倒されるほどだった。
 この時、来年の和作忌に合わせて出版すること
が決まったが、200ページ近い大作をスタッフ
もいないアマの漫画家が仕上げるのは並大抵のこ
とではない。
 そこで、「林武」の部分だけは兄かわぐちかい
じが手伝い、さらに今年5月の法事で帰省した兄
は、プロの目から問に合わないと判断。お盆休み
返上で「かわぐちかいじ事務所」のスタッフ全員
がてごうする決断を下し、和作が外遊する辺り30
ページを盆休み3日間で描きあげた。
 こうして、盆明けの8月20日に完全原稿とし
て出版社に無事送られたが、かいじ氏は市立美術
館での平松純平展のオープニングで帰省した際
「弟が変わった、負けられん」と打ち明けたほど
で、それが「弟は天才である。実の兄がいうのだ
から間違いない」という本の帯にもなっている。
 協治さんの苦労話や、玄洋先生の思いなどは4
日の和作忌の日に開かれる出版記念パーティーに
譲るとして、1冊の自作の本を自分の手にした感
想を著者の協治さんに聞いてみた。

協治さん感想を語る
 「直に会ったことがなかったので、逆に描きや
すかったのかもしれない。和作先生は吃音で筆談
だが、それでは漫画になりにくいので、この点だ
けは了承してほしい。
 尾道の人には、ウソがすぐ判るので(映画館の)
太陽館とか、昭和40年代の住吉神社西の雁木風
景とか、渡場の現松愛堂などで、古い話まで調べ
て(神社は少し移転している)描いた。
 原作では、高橋徳次郎さん(県議)とのやりと
りが面白かったのだが、これだけで1冊のマンガ
が描ける程で、残念ながらここは省略させていた
だいた。
 また、我々兄弟の絵の先生である平松純平さん
の話は、恩師も描きたいという一心で勝手につけ
加えた。
 出来るだけ忠実にという思いで、何度も図書館
に足を運んだが、笠井病院先代の隆吉先生の写真
を笠井家でお借りするなど、多くの皆さんの協力
があってはじめて出来た」といっきに語った。

 マンガは前列中央が和作、左が中川一政、右が
兄かいじが描いた林武。後列左から2人目が梅原
龍三郎。
 全199ページ。和作の写真や絵、年譜をはじ
め主要な登場人物の紹介を、漫画とは別に資料と
して途中に挿入している。
 編集が和作忌協賛会で、発行は広島市のガリバ
ープロダクツ。一冊1000円。
ISBNコード 4-86107-012-0
書店注文のほかネットショップにも出ています。



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