山陽日日新聞ロゴ 2004年8月20日(金)
国の重文指定へ向け
「なぜ時宗の寺がこんなに多いの?....の謎も」
 尾道市 常称寺の調査に着手
  今月末から広島大が『時宗寺院』や古文書も
山門、参道、本堂
 文化庁が国の重要文化財リストに搭載して20年
以上が経過していると言われている尾道市西久保町、
時宗常称寺の調査に入ることを尾道市が決めた。年
度内に国の重文指定へ向けての申請書を提出するた
め、今月末からその下調査に着手する。
 常称寺は時宗二代遊行上人が正応二年(1289)に
創建。本堂、大門(山門)、観音堂、薬師門は室町
時代の遺構として資料的価値が高く、現在は県の重
文に指定されている。
 尾道市内でも5番目に建立・造営された寺で、14
世紀以降何度かの火災に遭っているが文和元年
(1353年)に再建された山門などは創建当時の姿を
留めており、部材もほぽ当時のものを存している。
 市文化財係によると、文化庁が常称寺を国の重要
文化財リストヘ搭載して、すでに20年以上が経過
しているが、同寺の檀家数が約30軒という厳しい
状況があり、修繕や重文申請への財政的要件が整っ
ていなかった。
 県重文のまま、保存修理事業を実施すると、事業
費の2分の1が県負担。残りを市と同寺が折半する
ことになり、概算で7000万円を超える寺の持ち出し
が必要であった。
 これが、国の重文指定を受けると国が80〜85%の
費用負担。残りを県・市・寺の三者が3分の1ずつ
の負担となり、同様の概算では県重文のままの補修
費の5分の1程度で済むことになるという。
 同係では、同寺の内諾など諸条件が整ったと判断
し、9月補正で調査費を計上する方針を固め、それ
らも含めて今月末には広島大学による下調査が始め
られる。
 対象は前記の県重文に庫裏を加え、足利尊氏の七
堂伽藍を意識するほか、すでに調査が済んでいる西
郷寺を除く時宗教団4か寺(海徳寺、慈観寺、海福
寺、正念寺)の寺院建造物と関係古文書なども調査
対象に入れている。
 全国の時宗の寺群の中で、尾道市の西郷寺や常称
寺の存在が地元尾道で余りにも忘れ去られている。
また、旧市内に時宗の寺が6か寺もあるというのは
極めて稀であり、郷土史家の間では永年「尾道の七
不思議の一つ」とされていた。
 同係では、今回の調査で、これらの謎を解く鍵が
発見できれぱと密かながらも大きな期待を寄せてい
る。

一時は本山へ移築話も
  「山門保修」地域住民にも吉報


 国への重文申請をするためには「当該市町村によ
る建造物調査と、調査報告書の作成が必須条件であ
る」との指導に基づき、今年度で建造物実地調査
(測量、原形図面、古文書等)と調査報告書を作成
する。
 順調に進めば、17年度中に文化庁文化財審議会
によって重要文化財の指定が決まる方向にあり、18
年度から保修工事が始まることになる。
 常称寺は、その山門だけが離れて国道2号線と本
通りの間に在り、その山門脇に長い間「探偵社」が
棲み、近年は山門の傷みがひどく地域住民や心ある
市民の心までも痛めていた。
 雨晒しの無惨な姿をみかねた本山の浄照光寺(平
塚市)から「山門を本山に移築しょうか」という話
まで舞い込んでいた時期があったといわれている。
 山門を中心とした修復と共に、時宗6か寺の七不
思議の解明がどこまで進むか。いよいよその下調査
が近く始まるという嬉しいニュースである。

時宗の寺を紹介

 国による改修工事が決まると、尾道市では実に30
数年ぶりのこととなる。
 昭和30年代の西郷寺、30年代から40年代に
かけての西国寺、昭和40年代前半から半ばの浄土
寺の改修(宮大工千年の知恵)以来となる。
 時宗6か寺は、東久保町「海徳寺」。大正15年
の大火で全焼するまでは、久保川端通り(元は久保
沖の中州)に在った。再建時に現在地へ移転。創建
は宗祖一遍上人で、建治年中(1275〜8)に「沖の
道場」として建てられたのが起こりとされている。
 同じく東久保町「西郷寺」は文和2年(1353)の
建立。本堂は時宗教団最古式の建物として貴重な遺
構。本堂と山門は国の重文。
 防地口より西の西久保「正念寺」は天正2年
(1574)の開基。延命地蔵、延命井、延命水の寺と
して庶民に親しまれている。踊り念仏でも有名。
 長江一丁目「慈観寺」は、貞治4年(1365)に慈
観上人が御調郡栗原村世計橋近くに建立。元和8年
(1622)に現在地へ移転。天保の飢饉の際、町年寄
橋本竹下が尾道町民救済のため、天保5年に本堂を
再建した話は余りにも有名である。
 西土堂町「海福寺」は元応2年(1320)の創建。
「三ツ首様」がある寺として知られている。



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