山陽日日新聞ロゴ 2004年6月22日(火)
江戸時代初期
来月9、10、11の3日間一般公開
 復元された最古の農家
  国の重文「吉原家」、平成の大修理
主屋

天井
 江戸時代初期の寛永12年(1635)に建てられ、国
の重要文化財に指定されている向島町江奥、吉原家住宅
が実に369年振りに大修理を終え、7月に落成。創建
当時の姿に出来るだけ近づけ、文化財としての価値を高
めている。来月9、10、11の3日間、一般公開され
る。
 年代が確認されている農家では日本最古、民家では3
番目という吉原家住宅。3世紀半振りの平成の大改修は
柱や梁、壁板など出来る限り再利用して組み建てる「半
解体修理」の手法をとった。
 母屋は土間に足踏みの臼2台、格子戸を隔てて炊事場
があり、味噌など作る石造りの竈がある。
 土間を上がると南側に8畳の上の間、仏壇を備えた6
畳の仏間や8畳と4畳の応接間、北側に6畳の居間、納
戸2室など10部屋からなっている。
 天井は竿縁天井、成りの高い鴨居や差鴨居が多用され
ている。
 解体が進むにつれ、江戸時代初期に建てられた建築様
式が随所に見受けられ、その1つが1間ごとに柱が建て
られた跡を示す柱の番づけ。1間の間隔に柱が建てられ
ていたのは江戸中期まで、それ以後は2間に広がってい
る。
 また16世紀半ば以降は見られなくなった柱の角の面取
りも見受けられ、床板は手斧で荒削りし、やりカンナで
仕上げ波状になっており、これも江戸中期までの工具が
使われたことを示している。江戸中期以降は台カンナで
すっきり削れ、波状になることはなかったという。
 吉原家所蔵文書と共に建築様式や工具の推定から江戸
初期の建物であることが確認された。
 建物は3世紀半過ぎ、老朽化が著しいうえ、平成13年
3月芸予地震で被害が出て土間の梁が折れ、天井に穴が
開き雨漏りが原因で柱が折れ、屋根が大きく落ち込んだ。
天井の梁は白アリ被害に遭い朽ちていた。
 修理に関わった文化庁外郭団体、文化財建造物保存技
術協会、春日井道彦さんは「吉原家住宅は創建当時の江
戸時代初期の寛永のころの建物、江戸時代後期安政に増
築、そして明治から昭和にかけてつけ加えられた部分の
集合体です。建物として、創建時の姿に戻すのが理想的
で文化財としての価値も一層、高まります。吉原家は国
内の他の古い民家に比べ、構造上の魅力は多いです」と
総括していた。
 柱や桁、梁、天井の主要な材木もよく残り、当初の形
に復元。建材はマツやトガに紛れて、ヤナギやムクノキ
といった本来、使わない木が混じっていた。ヤナギやム
クノキは近くに生えていたのか、マツやトガが不足し使
ったのか、こうした建材は少なく、価値が高く今回の修
理でそのまま残した。
 また、3世紀も経てばほとんど風化する土壁も保存状
態が良く、そのまま使った。陽当たり、通気性も良く、
建物自体、しっかりしている。
 「吉原家は農家というより庄屋で武士から帰農して村
役人を勤めた階層の江戸時代初期の住宅として価値は高
い」(春日井さん)と語っていた。
 母屋と共に江戸時代後期、安政7年(1860)に建
てられた鉄板葺きの小さな祠、鎮守社や明治期、母屋に
密着して建造された内蔵を西に移設。
 総事業費は2億8000万円。
 それと明治18年(1885)に再建された国の登録文
化財、入口の長屋門も吉原家の負担で改修した。
 7月6日に落成式をあげ、9(金)・10(土)、11(日)の
3日間、一般に公開する。詳しくは町生涯学習課
(0848-44-0683)まで。
 吉原家の始祖は藤原鎌足の18代末裔、藤原親能といわ
れ、源頼朝の家臣として各地を転々、室町時代文明年間
(1469〜1486)に向島に移り、向東町大町、吉
原城に居を構えていた。江戸時代初期に帰農、現在の向
島町江奥、吉原家に移り住み、以後、江戸時代末期まで
代々、向島西村の庄屋をつとめてきた。現在の当主は39
代目。
 [写真上が江戸時代初期の姿に復元された吉原家の母
屋。下がヤナギやムクノキと珍しい建材を組み合わせた
土間の天井】。



ニュース・メニューへ戻る