山陽日日新聞ロゴ 2004年4月17日(土)
「えーっ、あの店が・・・」
舶来居酒屋「暁」と並び称される名店
 5月末で惜しまれながら閉店
  薬師堂の「平田公明堂」の主人が決断
ご夫妻と店内の様子並んだペン
 世界各国の洋酒を集めた舶来居酒屋「暁」に或る
意味では匹敵する価値がある、尾道市薬師堂の平田
公明堂(平田広志さん経営)が、来月末をもって73
年余の歴史を閉じることになった。万年筆専門店と
いうのは今や全国でも稀少価値があっただけに、そ
の閉店を惜しむ声が早くも起こっている。
 閉店の理由は全て、経営者の平田さんの責任感の
強さ、万年筆一筋のプロ意識、竹を割ったような男
らしい気性、性格に起因している。
 ポールペン全盛時代にあって、今や万年筆専門店
の経営がいかに難しく厳しいかは、尾道はもとより
広島市あるいは全国的にも万年筆専門店が存在しな
くなった事実によって証明されている。
 ところが、平田公明堂の場合は事情が異なる。松
山市に本社がある「フジ」が、まだ2店舗しか持っ
ていなかった時代に、時のフジ社長と平田さんが意
気投合し、以来「フジグラン」が開店する度に同系
列店の万年筆類の納入を一手に引き受けてきた。
 中・四国のフジ(グラン系)の万年筆は全て平田
公明堂の納入品で、この外商部があったので、他の
万年筆専門店が次々と閉店を余儀なくされていく中
にあって、続いてきたと逆説的に言えるほど。
 従って同店では、広志さんが主に外商、妻の方子
(よりこ)さんが店頭で小売りを担当しているが、
ともに還暦が過ぎ、跡継ぎもいないため、このまま
商売を続けていて、もしどちらかが病気にでもなれ
ば、フジか小売りかその両方に大変な迷惑をかける
ことになってしまうことを憂慮。2人が元気なうち
に決断しなくては..と、先月末頃に密かに閉店を決
意。
 まず、フジとメーカーに相談し、平田さんが閉店
後も何かとフォローできるため『道がついた』ので、
4月末をもって小売りを閉店し、外商はひと月後の
5月末で止める決断を14日にしたもの。
 平田公明堂は父の明義さんが昭和6年頃に、荒神
堂からひと筋西の西京町で開業。出征・復員後の戦
後まなしに、現在地の薬師堂で再開した。
 モンブラン、パーカー、パイロットなどの有名プ
ランドー色になったのは昭和30年代(東京オリンピ
ックが一大契機)以降で、それまで万年筆といえば、
どこの店も製造・卸し・小売りが主流だった。
 万年筆にポールペンがとって替わったのは昭和44
〜45年頃から。これを機に、万年筆が時計のように
修理代で生活できなくなり、万年筆職人が姿を消し
ていく中で、全国的に万年筆専門店が閉店に追い込
まれていったという。
 病気で倒れた父の跡を次男の広志さんが継承。病
気が回復したものの、その後亡くなるまでの20年
近く、息子に任せた父親の明義さんは「1本の万年
筆も自分では売らなかった」というエピソードが、
この二代の父子の一本気な性格を何よりも雄弁に物
語ってはいないか。

「噂以上の店・・・」と感心
  態々来店のペンクラブ会長

 観光シーズンや土・日・祝祭日になると、長蛇の
行列が出来る「朱華園」の下向いにある公明堂には、
行列中の観光客がちょっと列を離れ、もの珍しそう
にショーウィンドウを覗く。
 そこには、昔からの売れ残った万年筆が山積みに
積まれており、「この店はちょっと違う。本物では
・・・」と店内に足を運ぶのだ。
 万年筆愛好家の大林宣彦監督も、正月休みを古里
で過ごす時期になると、ひょっこり夫婦で同店を訪
れ買い物をしていく。
 無罪判決を十数件も勝ち獲っている日本一の弁護
士阿波弘夫さん(御調町出身)も「尾道の自慢は、
ラーメン屋と公明堂、それにクロダ帽子店」と明快
で、「何故、広島にない万年筆店が尾道にあるのか
?、それが不思議。そこに尾道の町の底力がある」
と10数年前から同店を絶賛していた。
 1度だけ、テレビの取材に応じたため、全国から
色んな引き合いがあり、「万年筆は骨董品ではない。
売るからには軸もペン先も全て新品で、書きやすく
なけれぱいけない」という持論(当たり前ではある
のだが)の平田さんは、どんな年代ものの万年筆で
も『その定価』で販売したため、大変な被害(精神
的にも)に遭ったと嘆く。以来、いっさいの取材
(本紙だけは別)を断ってきた。
 「一昨年だったか、日本ペンクラブ会長と言う偉
い人が突然、来店され『ウワサ以上の店だ』とお褒
めに預かった。アレが欲しい、これをと言われたが
お断りしたものの、余りに失礼ではと思い、パーカ
ーが一回限りで出したペン先のセットを定価でお譲
りし喜んでもらったことがある」とも話す。
 日常的に売れず、知識と技術を必要とするため、
スーパーは万年筆を相手にしないが、今でも公式な
書類は万年筆をよく使うことがあるため、3000円か
ら1万円程度のものがフジではよく売れるという。
 「今まで、お宅で買っていた客は、これからどう
すればいいのですか」と尋ねると、尾道のフジグラ
ンには売り場がないため「ウ〜ン」と返事に詰まっ
た。
 店頭に並べられた1000本以上の万年筆のほかに、
大正時代からの万年筆や、平田さんが好きで集めた
非売品の万年筆が5ケースもある。
 公明堂で昔つくっていたものや、芸術品としか言
いようがない本蒔絵の細工がされたもの。その当時
のペン先がない軸だけのものや、逆にペン先(いず
れも金製)群。
 ネーム入れ機や、金を量っていた秤(はかり)そ
れにショーウィンドウの万年筆群。東京・三越百貨
店の陳列ケースをつくった職人に依頼して別注でつ
くった現在も使われている3つの陳列ケースなど、
これらはいずれも『お宝』。
 「サンニチに色々と出て(記事)おり、これらに
ついては全て任せますので、使えるものは使って下
さい」と後事は託された。
 15日朝、これを聞いた市長は「小売りだけでも、
まだ続けられないのか?」とビックリ。
 近い将来、平田さん父子二代が残した『万年筆物
語』が、旧会議所跡の「商工記念館」の一隅で、永
遠に光り輝き続ける日が来るであろうことを祈りな
がら、この悲しい取材を終えた。



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