山陽日日新聞ロゴ 2004年1月17日(土)
半田堅二さん
尾道地方に古文書の勉強の場を
 独学で古文書の解読に
  生まれ育った郷土の歴史を繙く
古文書と解説
 自分の生まれ育った郷土の歴史を繙こうと向島町、半田
堅二さんが独学で古文書に取り組み、江戸時代の尾道の橋
本家をはじめ向島町の庄屋だった吉原家、古森家の古文書
を解読。その古文書の釈文を関係者に配り、喜ぱれている。
 半田さんは郷土史にひときわ関心が高く、戦前の昭和13
年10月に発行された「備後向嶋岩子島史」(菅原守氏編纂)、
その62年後の平成12年3月に出版された「向島町史」を読
破。それでも物足りず、「その時代、時代、人々がどのよ
うに生活していたのか知りたいと思い、直接、古文書を読
んでみたくなりました」。
 昨年3月、独学で古文書解読に取り組み、尾道向島地方
で古文書を勉強する場を探しもとめたがなく、世羅の古文
書を読む会に入会。広島の県立文書館や福山の文書館など
足しげく通い、尾道の橋本家、江奥の吉原家、宇立の古森
家の古文書を読み漁っている。
 古文書はどうしても地元の資料に目がいき、橋本家古文
書の津部田塩浜関係では、江戸時代末期文久1年(1861)、
「田畑売渡証文之事」で現在の半田安正議長西の海岸から
津部田コミュニティまでの塩田と浜つき畑約15町と薪の木
を伐採する山を含め800両(現在の価格で2億円)で加
登灰屋から灰屋伴蔵に譲り渡している。800両のうち半
分の400両は年賦払いしている。
 向島町史の巻頭を飾っている吉原家文書「御調郡向嶋絵
図」=江戸時代元禄4年(1691)=では向島向東島内
の17地区の地名と世帯数、人口が記されている。ちなみに
半田さんの住んでいる津部田は当時家は20軒、人口は131人
(男66人、女65人)。石高は167石で現在の価格にして
4530万円。「この絵図の釈文を差し上げると喜ぱれま
した」。
 また津部田の長福寺、岩子島の阿弥陀寺、宇立の重楽寺、
江奥の神宮寺、向東町の西金寺など寺院の古文書も解きほ
ぐし、現代文に直し、関心のあるお年寄りらに配っている。
 橋本家古文書には江戸末期、安政元年(1854)、ペ
リーの黒船来航で尾道奉行所の覚が出されており、そこに
は「・・・強い覚悟で、国難に立ち向かうように、質素倹
約するように・・・」と遠く離れた尾道においても未曾有
の国難に際し危機意識が強かった事が伺われる。
 「古文書を勉強したいと思う人は意外に多いのでは。世
羅まで通っていますが、出来れば尾道地方で古文書を学べ
るところがあれぱと常日頃、思っています」と段々と古文
書を解読していく人が少なくなった昨今、後継者育成のた
めにも古文書の研修の場を官民問わず設けて欲しいと訴え
ていた。
 [写真は橋本家古文書で津部田塩田を書き記した『書添
証文之事』とその釈文]。



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