山陽日日新聞ロゴ 2003年6月20日(金)
本の厚さに想いの厚み
 あじさいきの池田康子さん渾身の一作
  「フミコと芙美子」出版
   芙美子の実像を後世に伝えたいと
 尾道を文学の古里とする作家林芙美子の生誕100年の年に、
尾道のフミコを自認する池田康子さん=あじさいの会主宰=
が、祥月命日の28日を前に「フミコと芙美子」(市井社刊、
525ページ、本体価格3000円)を上梓した。20日から啓
文社等で発売される。
 本紙の新刊紹介(書評)コーナーを担当している啓文社福
屋ブックセンターの高垣亜矢さんの「読後評」は次の通り。
尾道ゆかりの新刊書紹介コーナー
『本欄は4回目であるが、3回目の『ひげの梶さんと西国街
道を歩こう』以外、ずっと芙美子の名が登場していることに
お気付きだろうか。1回目の『週間日本の街道』では、尾道
を語るキーパーソンとして。2回目は川本三郎著『林芙美子
の昭和』を取りあげ、東京発の林芙美子論を紹介した。そし
て、今回、尾道発・池田康子著『フミコと芙美子』に辿り着
く。いったい何の流れか因縁か。答えは簡単。芙美子生誕
100年、というひとつの流れに突き動かされていたのであ
る、とかけばもっともらしく見えるが、実はそのことに気が
付いたのは最近なのである。
 本欄の場合は「偶然」で済まされるのだが、『フミコと芙
美子』の著者、池田康子さんはどうだろう。本書を手にとっ
た時、525ページという紙の厚み以上に、ただならぬ「想
いの厚み」を感じた。80代も半ばで、膨大な資料をまとめる
には相当の苦労があったに違いない。
 芙美子は実は誤解の多い作家である。芙美子の娘的存在だ
った大泉渕さんと筆者が対談(100ページにも及ぶ)して
おり、その中で大泉さんが、『放浪記』を読んだ印象で人物
評をするお偉いさんがいるが辛い経験もないのにどこまでわ
かるのか、と酷評する場面がある。芙美子の誤解は、そうや
って生まれたのだろう。川本氏の著書では、東京の街をたく
ましく閑歩するモダン・ガール芙美子の姿が印象的に書かれ、
「貧困・放浪」イメージを払拭したうえに、性格の悪さや戦
争協力者というレッテルを見事に剥がしてくれた。そして尾
道の視点のひとつー池田さんもまた、芙美子の実像を守ろう
と必死である。貧しさよりも、心ある人たちのエピソードや、
恩師に恵まれて才能を伸ばしてゆく姿が描かれている。恋多
き女性、という評もあるなかで、尾道での恋は純粋であった
と強調する。後年、芙美子が語った「ただ好きという気持ち
の時代の恋」という言葉や、芙美子の親友作家・平林たい子
が述べた、「小林先生の愛はいわぱ天上の愛であり、O氏の
愛は地上の愛と名づけられよう」という言葉からもそれは裏
付けられるだろう。
 本書半ばに「フウちゃん(芙美子)はすでに半世紀前に世
を去り、フウちゃんが女学校1年生の時に生まれた私はすで
に80余歳。早く書かねば芙美子が伝説の人になってしまう
と心ぱかりせかされる」とぽつりと書かれている。すべて読
みきったあと、この一文が著者を動かすすべてなのだろうと
思った。ひとの評伝を書く作業は、並み大抵のことではでき
ない。ましてや筆者にとって芙美子は血のつながらない他人
である。筆者の家の軒下を芙美子が通って女学校へ行ったと
はいえ、「会う」にはいたらない。それなのに、である。運
命・宿命とはいえ、途中、きっと苦しかったはずだ。この一
文は、そんな自分に喝を入れるためでもあったのだろう。
 ペンー本で人生を探求した「チビ助」芙美子。言われもな
い風評に傷つき、その小さな体を横たえ、目を閉じた時に、
どの風景が見えたのだろうと心配する筆者。それはもちろん、
遠いパリでも夢見たという、きらきらした青春を送った美し
いこの街であろう』。
 『フミコと芙美子』池田康子著 市井社 本体3000円



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