山陽日日新聞ロゴ 2003年1月28日(水)
「ひげの梶さん」
日本人が『古里』を喪失していくなかで...
 尾道には『教育力』がある
  1月19日「咸臨丸出航の歴史的な日に」
れんが坂入口 神宗斎で
長尾家の小さい墓も同居する土居家と咲吾の墓地
(続報)「ひげの梶さん歴史文学探歩会」は19日、20日の2
日間、尾道市内で行われ、演出家梶本晃司さんのファン20人
が全国から参加し、尾道人も知らない『尾道の魅力』を堪能し、
尾道に多くの教訓を残した。
 初日は午前10時に尾道駅前に集合。尾道からもシルバーガ
イドの高垣俊雄さんや旧会議所の萬(よろず)案内処でガイド
をしている職員2人らが自主的に参加した。
 長江口から蓮花坂の神宗斎「愛宕祖霊殿」まで同行、取材し
た。
 梶さんは、長江口の小川小路前で、小路についてまた街道に
ついて語り「三原は造り酒屋の町並みをみな壊した。東海道は
昔の街道の90%は失われた。西国街道はまだ残っており、尾
道はとくに昔の路地がそのまま残されている。我々がこうして
歩くことが、古いものを大切にし、残していくことにつながれ
ば、そのことに大きな意義がある」との哲学を語った。
 常称寺の山門前では「明治の神仏棄釈で、多くの寺や仏像が
破壊された(かっての日本もバーミヤン遺跡の破壊と同様の愚
を犯していることを知らなければいけない)。しかし尾道には
真言宗の寺(浄土寺、西国寺、千光寺の三山)がこれだけ残っ
ており(大切に)、尾道の人の賢さを知ることができる。
 鎌倉の遊行寺に時宗の本山があるが、そこに行くと『尾道は
素晴らしい』という。時宗の寺はどこも檀家が少なく維持する
のに大変で、多くの寺が改宗しているが、尾道は時宗の寺が今
もある(西郷寺、正念寺など。何故、尾道に時宗の寺が多いの
かは、尾道の歴史家の間でも今も謎とされている)。
 徳川家康の先祖は群馬県の出身の遊行僧だったという説があ
り、徳川幕府は時宗を大切にしたともいわれている」とその謎
に迫る解釈もしてみせた。
 浄泉寺付近では、その大屋根の見事さと、墓地の中央や西北
寄りにある『力石』をそのまま墓にしているのを紹介し、高垣
さんに質問していた。
 蓮花坂の入口では、ここまでは前回歩いたコース。ここから
が出発と前置きし「石川県で中学校の総合的学習で講師をした。
商店街が中学生をアドバイザーにして、商店街おこしを始めた。
 企業戦士はリタイアしても故郷がなく(どこか別々の団地住
まい)、みんな銀座に出て昔の仲間と会って過ごしていると地
域コミュニティの崩壊、古里の喪失を鋭く私的。
 尾道のような古い町には、その歴史(文化)があるが故に、
これを大切にすれば地域の『教育力』となり、これからの時代
を生き抜く町の力になってくる」とこれまた鋭く地方分権社会
を洞察した。
 そして蓮花坂半ばの神宗斎で「今日のメインはここ。皆さん
は日本の歴史的な日に、ここに立っています」と、1860年萬延
元年の正月19日、今の1月19日その日に勝海舟ひきいる
「咸臨丸」が浦賀を出航。土居咲吾こと長尾幸作(尾道人)が
アメリカに渡った歴史的な日だと説明した。
 たまたま歴史探歩会の日が1月19日だったとはいえ、これ
ほど日本の歴史と尾道の歴史を見事に組み合わせて説明できる
尾道人がいるのかどうか!?。余所者にカルチャーショックの一
撃を痛烈に喰らった瞬間だった。
 土居咲吾と名前を変えた経緯(いきさつ)や、一緒に渡米し
た福沢諭吉が再三、咲吾に上京するよう催促していた話(高い
評価)、咲吾夫人の糸子さんが尾道幼稚園の前身をつくった話
など時代の先覚者(尾道では忘れられた存在)を輩出した尾道
の町の大きさ、懐の深さにも触れていた。
 広く全国を見聞し知識が豊富なだけにとどまらず、自らの歴
史認識(歴史観)や時代認識が極めて秀れており、「この人な
ら、何処の地を訪れても大切なことを伝える力がある」ことも
見事に証明してみせた。
 次回、「ひげの梶さんの歴史探歩会」は、尾道人にとっても
目からウロコの楽しい1日になるのではなかろうか。


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