山陽日日新聞ロゴ 2003年1月1日(水) 町を守る
尾道大好き人間をつくり続ける越智征士さん
 
尾道の駅前にはこの人
  『時代』と『官』に弄ばれながらも
尾道駅前マルコシの越智征士さん
 昨年8月、盆前に「町を守る」若者達を3回シリーズで紹介
したが、今年も色んな観点・角度から「尾道を守る」人たちを
伝えていきたい。新年のトップを飾り、尾道駅前の盛衰を肌で
感じながら、今も官と闘いつつ、温かく観光客らに接し、駅前
になくてはならない人になった越智征士さんに登場を願った。
 「なんでワシなの?...」 と訊き返す越智さんに「駅前の変
遷をみてきた生き証人の視点も..」と答えたところ、町を守る
というテーマとはやや脱線したが、これなくして越智さんの生
き方、ポリシーは語れない。
 父親の一政さん(故人)が復員後、輜重兵(しちょうへい)
の経験を生かし、支給された国債や一政さんの父親が息子のた
めに貯金していた金をはたいて買ったのが大三島・生口島のミ
カン。「いわゆる青田刈り」だった。
 物のない時代。ものが有りさえすれば売れるという一政さん
の勘は見事に的中。一冬の稼ぎで、芋畑だった駅前の旧専売公
社東側の土地を手に入れた。当時、売家(地)で一番高かった
のが荒神堂、次いで住友銀行付近だったというのが一政さんの
話。
 この商魂に、島の親戚や尾道商人も出資し、仙台から貨車ご
と仕入れるなど一政さんの奮戦記は続くが、島のミカンは農協
に出荷されることになり、名古屋でパチンコが流行っているの
を知った一政さんはパチンコ店「マルコシ」を開業する。
 その後は多くの方がご存じの通り、尾道駅前とパチンコ業界
の2つの盛衰に身を委ねることになるが、一政さんはいち早く
現金商売のパチンコの儲けをアパート経営に注ぐ先見性を発揮
し、長男と三男の征士さんの2人の学費(共に慶応大卒)を稼
ぐことになる。
 「親父が道草を買ったのが1965(昭和40)年。坪36万円だった。
福山駅前が40万円。まだ尾道はたいしたものだった」。越智さ
んによると、駅前のピークは大学を卒業し家業を継ぐため帰省
した1年後、昭和43年春の尾道大橋開通の時ではなかったか
という。
 かって新開に8軒、駅前だけで5軒もあっパチンコ屋は、一
政さんが亡くなる前年の53年に「フィーバー」機が出現し、
一時復活する気配があったが、車社会と郊外店の時代の大波に
翻弄されていく。
 「オマエが好きにすりゃーエー」という父の遺言。「人間は
所詮ないものねだり」と越智さんはいう。大学出の同級生の3
倍もの初任給をもらっていたが、他人が休む日に休めない。業
界の人とはどうもなじめない。一番イヤだったのは、市役所や
日立で働く人が負けた金が、朝からパチンコをしている人間に
結果的に回ってしまう、その仕組みだった。
 読書が大好きだった越智さん。58年6月4日、マルコシ書
店を開業する。「一番、嬉しかったのは経済同友会に入れたこ
と」だという。
「駅前は安心」の存在感
 当事者のみが持つ言葉の重さ
 駅前再開発については、越智さんの見方は普通の人とは違う。
それは第三者ではなく当事者だから当たり前なのだ。
 「三原の再開発は権利者にとっては、よい再開発だった」と
いう。それは事業前に市が一番強調した「権利者の生活再建」
その視点からだ。
 再開発という法の網を長い間かぶせられ、新築したくてもま
まならず、高値がついているのにビルが建てられないため、土
地の買い手がなく苦しみあえいだ地権者を知っている。
 いつできるのか?本当にできるのか?という行政の怠慢に弄
ばれ、なおかつ駅前は顔いわば公共の中心地。今もだ。
 主な収益源だったレンタサイクルも、マルコシが1000円のと
ころ、しまなみが700円から500円に下げるといわれる。
 土産物を扱っていたら、今度はしまなみ交流館の中に、協会
の土産品販売所ができる。一般の市民からいえば、安いレンタ
サイクルと、尾道にない土産品販売所という当たり前の評価
(疑問にすら思わない)になるが、市の事業に協力し、生活の
場となる越智さんにとっては「民ができることは民が基本では
ないのか」という強い思いがある。
 とくに、税とか家賃、人件費などで"不平等"を強いられてい
るのが、法学部出の越智さんにとって許せないのだ。
 それでも人柄の越智さんは言う。「自分は亀田市長を応援し、
間違っていなかった。それよりも駅前に法の網をかぶせながら、
新駅予定地では逆のことをやり、60億円の税金をムダ遣いをし
た前市政の方が許せない」と。
 尾道駅に降り立った人が「目の前に海があり、島には灯台が
見える」と喜んでくれる。なかには昔の駅前がよかったという
人が10人に1人ぐらいいるが、そういうキザなことをいう人
には、自分が水洗便所なしで我慢できるのか?と言いたくなる
と。
 北高14回の同級生が帰省すると、必ずウチへ寄ってアルバ
ムを見ていく。リピーターが友達を連れて自慢げに店をのぞく。
博学な越智さんのガイドで「おのみち大好き人間」になった人
も多いし、礼状や手紙は数多くあるが、いっさい見せてはもら
えなかった。
 職業を通して「なんとか社会に役立ちたい」という言葉は最
後まで口にしなかった越智さん。この人が元気でいるうちは
「駅前は安心だ」という、かっての栄えた町おのみちの原点が
ここに在る。

転載責任者メモ:私が尾道好きになったのは越智さんと喫茶TOMのマスターの
        お陰です。越智さんの好きなところは、考えをガッチリ
        持っていながら、私のようなヨソ者の言うことにもキッチリ
        耳を傾けて下さるところ。「違う部分は違うと言うが、聞く耳は
        持つんじゃけえ」がモットー。私が"熱狂的尾道ファン"と
        たまに意見が合わない"冷めた"部分があるのは、多分この
        越智さんの"違う見方"を教えてもらっているからです。

        ただ私が「尾道に行ったらマルコシへ」とガイドしているのは
        越智さんとの人情・付き合いで言っているのではありません。
        この方は、しまなみ海道開通で、自転車で渡りたいという人が
        増えてきた時、ちゃんと「自分の足でこいで渡ってみた」のです。
        観光案内所の人の何人が実際に渡ってみて「ここまで行くのは
        無理ですよ」などとアドバイスしてくれるでしょう。私は何度も
        「市内観光なら歩いた方がええよ」と、自転車を借りに来た人に
        言っているのを聞いたことがあります。だから私が全面的に
        信頼できる「案内人」は、この人しかいないのです。
        この方を取り上げて下さった山陽日日新聞さんに感謝します。

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