山陽日日新聞ロゴ 2002年11月30日(土)
説得力がある
古代都市尾道を稲田教授が熱く語る
 『謎』をどう発展させる
  世界遺産級の『巨石・石造文化も』
講演する稲田教授
 尾道市議会議員研修会は27日午後1時半から市役所で開き、
市議22人に部課長ら約60人が出席して、尾道大学芸術文化
学部美術学科の稲田全示教授の「古代都市尾道のなぞ」と題す
るスライド中心の講演を熱心に聴いた。
 稲田教授のグループは、産学共同研究として「バーチャル尾
道」の制作研究を市の今年度事業で実施中で、その研究プロセ
スを中心に「不思議と謎の古代都市」尾道のポテンシャルを熱
く語った。
 尾道が史書に登場するのが1168年の高野山文書。その以前は
小さな漁村だったとするなら、なぜ浄土寺をはじめとする豪壮
な七堂伽藍が尾道にあるのか(後世の豪商の寄進等というケー
スはあり得ないという意)。
 2〜3年前、美術館で龍の国展を開催した時、台湾の古代都
市計画の研究者らが、古代中国と日本をリンクさせ「尾道は古
い」と言い切っている。
 大宝、愛宕、瑠璃の三山は共に「玉」を冠にしている。大宝、
瑠璃は玉そのもの。愛宕も梵語で「摩仁」(山)が玉の意。
 この3寺が共に対岸の岩屋山を向いて建てられている。現在
調査中で、尾道・向島・向東の12寺社が岩屋山を向いてつく
られているのを確認している。
 これは偶然ではなく、本堂から山門を見てその向こう延長線
上に岩屋山を入れようとしなければ、こうはつくれない。
 古代ほど、人間は大きなスケールでものをみていたはずと話
し、千光寺、西国寺、浄土寺や向島の八幡宮、向東の西堤寺な
どを写真とコンピューターグラフィックを使って、その不思議
さを説明した。
 さらに、岩屋山の麓が昔「箱石」という地名で呼ばれ、向島
町史には古墳があり石棺が出たとの記録があること。
 日本最古の伽藍配置を持つ大阪・四天王寺の境内南側に熊野
権現が祀られており、水尾町の熊野権現が昔の波打ち際にある
こと。鉄道で分断された常称寺について開設後、風水、玉につ
いて「巨石文化」と「石造文化」について語った。
 千光寺の玉の岩、鏡岩と西国寺のタンク岩、浄土寺の不動岩
などがお互いにシンボルとして連動し合っていること。鏡岩が
朝日を浴びてタンク岩を照らす妙。千光寺の岩の祠が浄土寺を
向いている。千光寺と浄土寺を結ぶ線上に昔にあったと思われ
る2基の五輪塔が鉄道敷設で福善寺墓地に移されている話。
 1枚の大岩がカットされており、世界の古代遺跡(いずれも
世界遺産)と同じように、岩の割れ目から太陽が昇る(冬至の
日か?)ようになっていると思われることなどを述べ、ついで
本論とも言うべき「日本の防衛ライン」仮説に移った。
 白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れた天智天皇は、必ず攻
めてくるに違いないと考え、九州から瀬戸内海で防ごうとした
はず。防人(さきもり)、周防灘、防府、防予諸島といった防
の名が残る。
 尾道の防地は江戸時代の番所からついた名ではなく、防人の
防と同じ。
 現在つかっている地図からは古い名は消えているが、海図に
はみんな残っており、浄土寺の突端が「防地ヶ鼻」、因島に
「坊地島」、布刈瀬戸に坊地の州、向島に防地浜、さらに坊地
の瀬戸など全部で7つの「防(坊地)」の名が残っている。
 浄土寺の創建が616年、白村江の戦いが663年。日本地
図を開けば、朝鮮からの敵をどのラインで(最終的に)防ぐか、
誰が見ても島が連なり流れがきついこの(今のしまなみ)ライ
ンで防ごうというのはすぐに分かるはず。
 千光寺、浄土寺の巨岩は山城跡であり、この防衛ラインに
「水軍」が生まれた要素があるのは当然のこと(注=尾道六郎
や水軍とも実によく結びついてくる)。
 これらから、朝廷(国家)の鎮護安寧を願う国家的大戦略の
機能を、隠れた朝廷として尾道に置いたのではないかというの
が仮説であり、冬至、朝廷以外の民間にそういう思考・ノウハ
ウはない。
 さらに、巨石文化から石造文化に話は発展し、多宝塔やポン
ポン岩、くさり岩、牛の石像、岩屋山の巨石の御柱(男性のシ
ンボル)からタンク岩等の巨大線刻に触れ、古代以前の自然信
仰で、尾道には神格化されたものが数多く残っており、牛の像
1つでも世界遺産の資格は充分に在るなどと夢を語り続けた。
 これらをコンピューターグラフィックをつかって「バーチャ
ル尾道」として分かりやすく解説し、研究者のみならず一般の
観光客にも、尾道の古代ロマンを実際に歩いて楽しんでもらお
うという企画が進められており、松谷成人議長が「大変、有益
でかつ楽しく、夢のある話をしてもらえた」と謝辞を述べ閉会
した。


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