山陽日日新聞ロゴ 2002年11月3日(日)
入船さん感動の笑み
 奇跡の里帰りで『復権十年の戦い』に終止符
 「尾道の宝、市に寄付を」
   
玉蘊の古鏡、山陽の「題詠詩」一緒に
開封を前にメンバー
鏡を手にする関係者鏡と軸
(続報)約150年前の江戸時代末期から、その行方が分からな
くなり、幻の秘鏡として誰もが諦めていた玉蘊愛蔵の古鏡(唐
代、銅製)が、悲恋の主頼山陽の古鏡題詠詩(軸装)と一緒に
1日、古里尾道に里帰りした。「なんとしても尾道に取り戻さ
なければいけない」と個人で取得した市文化財保護委員入船裕
二さん(79)は、感激の古鏡との"御対面"の席上、「尾道の宝で
あり、尾道市に寄付したい」と語り、池田明子文化財保護委員
との名コンビで、閠秀画家平田玉蘊の名誉回復にこれ努めたこ
こ10年の歩みが、予期せぬこの慶事で大きなひと区切りがつ
けられたことに素直に喜びを表現していた。
 午後2時半、尾道ロイヤルホテルの1室に、日本最大手の
(株)思文閣と池田明子さんを迎え、入船裕二さん、松岡昭禮持
光寺住職、寺岡昭治市文化財保護委員長、玉蘊忌実行委の小倉
伊徳、田辺耕造、松川隆之の各氏、花本健治市生涯学習課長ら
が同席し、古鏡8枚と掛け軸の受け渡しと記者発表が行われた。
 結果として尾道への里帰りを仲介したことになった池田明子
さんは、昨報通り「平田玉蘊愛蔵の古鏡の顛末」を説明した。
〔本紙よりのお詫び=昨報の池田さんの「平田玉蘊愛蔵の古鏡
顛末」は、文字通り顛末を池田さんがメモにしてまとめたもの
で、顛末記ではありません。池田さんの名誉のため書き添えま
す。
 また、この顛末の本意は、頼山陽史跡資料館としては、いっ
さい真贋の鑑定をおこなっていないことを周知する意図があり、
去る25日付の本紙報道で同感にご迷惑をお掛けしたことをお
詫びします〕。
 池田さんの解説によると、古鏡8枚のうち5枚は「尾道志稿」
や「芸藩通誌」に図示されているものと一致。残り3枚につい
ては、田能村竹田の「玉蘊愛鏡十数枚..」の件(くだり)があ
り、これも玉蘊の所蔵の鏡であるかもしれないという、現時点
での見解を述べた。
 菊紋様と方鏡など3枚が一致していない。鏡の大きさ(直径)
は最大19.7cm、最小6.3cm で、想像上の「鸞(らん)」という
鳥と 同じく龍の模様が彫り込まれている。
 掛け軸は1点が8枚の古鏡の拓本で、もう1本が頼山陽の
「題玉蘊女史所蔵古鏡」の漢詩。

 背文禄繍雑殊斑
 猶覚銅光照膽寒
 一段傷心誰得識
 凝塵影裡舞孤鸞
(「殊」は正しくは「石」偏です<パソコン上出ないので..)
(鏡よ鏡、もし霊があるならば、あなたのために、災いを除き、
幸せをもたらしておくれ)。
 池田さんは「山陽の気合いの入れ方、字配り等が大変、出来
の良い作品。自分との恋の破局後、玉蘊が幸せに生きているこ
とに対する優しさがある。飛騨高山で売り立てがあった昭和8
年といえば、大変な皇国史観の時代で、山陽は女学生にまで大
人気だった。山陽の書が一緒にあったからこそ、こうして長い
間、玉蘊の古鏡が伝わったといえ、現代の今も山陽と玉蘊の不
思議な縁に感無量です」と話した。
 そして、この話を最初に聞いた時、「胸がドキドキして、に
わかに信じられず、まず一番に入船先生に電話しました」とバ
トンタッチ。
 入船さんは「ビックリ仰天した。世の中は不思議なことがあ
るもの」と前置きし、取得後の予定を訊かれて「来年で6月
20日の玉蘊忌も10年になる。山陽にふられた女子(おなご)
ということで有名だった玉蘊の名誉挽回は、市立美術館で市政
百周年の時に玉蘊展を開催し、3人の女性に玉蘊の小説を書い
てもらい、もう十分に名誉の回復は出来た。これは尾道の宝で
あり、尾道市の方へ寄付したい」と話した。
 入船さんは第20回頼山陽記念文化賞を受賞。周辺では、こ
の受賞祝賀会の計画があり、この席上で尾道市への寄付が行わ
れるのではないかというスケジュールづくりがこれから進行す
ることになろう。
(すでに2回にわたって本紙で報道しており、歴史的な関係・
説明等は重複を避け省略しました)。

注・文中「昨報」とありますが、当HPには当該記事(メモ)は転載して
  いません。
  (25日付のは転載済みで「資料館では真贋鑑定をしていない」旨を
   書き足してあります)

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