山陽日日新聞ロゴ 2002年6月8日(土)
国の重文
年代が確認出来る最古の農家
 江戸時代初期の建築様式
  吉原家主屋、3世紀半振りに修理
骨組みになった吉原家
 3世紀半振りの平成の大修理−。国の重要文化財に指定されて
いる向島町江奥、吉原家住宅の主屋が367年振りに解体修理。
7、8の両日、一般開放し見学会が開かれている。平成9年に納
屋と便所が本格的修理を終えており、今回の主屋と鎮守社および
入口の長屋門の改築で吉原家の修理は終える。
 吉原家の主屋は葛西で焼失、江戸時代初期の寛永12年(1635)に
再建され、今日に至っている。屋根は葦葺きで寄棟造り、タテ
20.1m、奥行き9.1m。「吉原家の所蔵文書で寛永時代の建築である
ことは明らかで、年代が確認されている農家では日本最古、民家
では3番目です」(文化財建築物保存技術協会、春日井道彦氏)。
 主屋の内部は土間には足踏みの臼2台、格子戸を隔てて炊事場
があり、味噌など作る石造りの竃がある。土間を上がると南側に
8畳の上の間、仏壇を備えた6畳の仏間や8畳と4畳の応接間、
北側に6畳の居間、納戸2室など10部屋から成り、天井は竿縁
天井、成りの高い鴨居や差鴨居が多用されている。「農家という
より庄屋の屋敷で、再建された江戸寛永以降、手が加えられてい
る痕跡が見うけられ、間取りも当時とは違っていたと思われます」
(同)。
 解体が進むにつれ、江戸初期に建てられたと思われる建築様式
が随所に見受けられ、その1つが1間ごとに柱が建てられた跡を
示す柱の番づけが記されている。1間の間隔に柱が建てられてい
たのは江戸中期までで、それ以降は2間に広がっている。
 16世紀半ば以降は見られなくなった柱の角の面取りも見うけ
られ、床板は手斧で荒削りし、やりカンナで仕上げ波状になって
おり、これも江戸中期までの工具が使われたことを示し、中期以
降は台カンナですっきり削れ、波状になることはなかったという。
古文書と共に建築様式や工具の推定から江戸初期の建築であるこ
とが確認されている。
 建物は3世紀半過ぎ、老朽化、昨年3月芸予地震でも被害が出
て、土間の梁が折れ、天井に穴が開き雨漏りが原因で柱が折れ、
屋根が大きく落ち込んでいる。天井の梁は白アリにやられている。
 「柱や桁、梁、天井の主要な材もよく残り、当初の形に復元し
ていきたい。武士から帰農して村役人を勤めた階層の江戸時代初
期の住宅としては価値が高い」(同)と話していた。
 主屋と共に敷地内にある江戸時代後期、安政7年(1860)に再建
された鉄板葺きの小さな祠、鎮守社も改修する。
 総事業費は2億3千万円。国県町補助金は92.5%、残りは吉原
家の負担。請負業者は飛島建設。後期は今年1月から来年12月。
 明治18年(1885)に再建された国の登録文化財、長屋門も吉原
家の負担で改修する予定。
 見学会は7、8の両日、3班に分け60人が参加、遠くは広島
市から、文化財研究家が足を運んでいた。
 吉原家の始祖は藤原鎌足の18代末裔、藤原親能といわれ、源
頼朝の家臣として各地を転々、室町時代文明年間(1469〜1486)に
向島に移り、向東町大町、吉原城に居を構えていた。江戸時代初
期に帰農、現在の向島町江奥、吉原家に移り住み、以後、江戸時
代末期まで代々、向島西村の庄屋をつとめてきた。現在の当主は
39代目。
[写真は骨格を現した茅葺屋根(上)と主屋8畳の間]。


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