山陽日日新聞ロゴ 2002年5月19日(日)
尾道の昔の絵はがき探しています!
 
尾道の貴重な文化遺産
  日本郵趣協会理事 天野安治
天野さん所蔵の尾道市街地を撮した絵はがき
   自然を壊し開発することと、古い物を捨て壊し、物を大量
  消費する『価値観』からの一大転換期。折しも尾道市は、こ
  の大変革期に当って、「世界遺産登録へ挑戦」という都市戦
  略、大命題を掲げることで、『尾道の進むべき方向性』をよ
  り一層明確にした。
   そういう動きに呼応するかのように、44年前の武者小路實
   篤展の作品探しが"結実"し、旧会議所活用のTMO専門部
  会でも、これから『商港尾道の遺品』探しの大キャンペーン
  が展開されそうなムード。郵便・切手の収集・研究で日本の
  第一人者であり郷土史家でもある天野安治さん(京大卒・元
  高校教師)が「古いものを大切にしよう」と本紙に次の通り
  寄稿、市民の協力と問題意識を呼びかけている。
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 百年前のハイテク
 世界最初の郵便はがきが出現したのが1869年。これは料額
面の印刷された官製はがきであったが、1870年代に入ると、
絵はがきも登場してくる。そして間もなく、19世紀末から20
世紀はじめにかけて、欧米では絵はがきは一大ブームとなるが、
やがて、それが日本にもやってくる。
 絵はがきは、はがきの片面に絵や写真を印刷したものを、郵便
はがきとして低料金で送ることができる、風景、名所旧蹟、風俗、
さらには人気俳優や美人にいたるまで、さまざまな眼でみる情報
が郵便で運ばれて、世界中をかけ巡ったのである。
 絵はがきは、写真技術と印刷技術の発達と、郵便という当時の
もっとも主要な通信手段が結びついた結果生まれたものだが、コ
ンパクトな形で、ヴィジュアルな情報を伝えることができる。当
時としては一種のハイテク情報伝達手段だったのである。
 1890年代になると、欧米の絵はがきブームが日本に上陸し
てくるが、1904年〜05年(明治37,8)の日露戦争の頃、ブー
ムは頂点に達する。逓信省が戦役記念絵はがきを多数発行し、そ
れが大人気となったのが呼び水となったのである。官公庁や公的
機関からさまざまな記念絵はがきが発行される一方、民間からは、
戦争関連のものはもちろん、名所・旧蹟、神社・仏閣、役者や美
人など、様ざまな題材の絵はがきが作られて、大いに売られた。
このような傾向は、20世紀中頃、第二次世界大戦の頃までつづ
く。
 なぜ。いま絵はがきなのか
 ブームから百年、昔はあまりにも身近にあり過ぎて、ありふれ
た存在であったため、省みられることの少なかった絵はがきであ
るが、現在では歴史のひとコマを切り取ったともいうべき1枚1
枚が、昔を物語る貴重な資料となってきたのである。
 最近では、そんな絵はがきに注目が集まり、船や鉄道などの交
通機関、旧帝国海軍の軍艦などをはじめ、分野別に集める人も増
えてきている。
 先日、本紙に、太平洋戦争時、向島町に収容されていた英国捕
虜が遺した、千光寺玉の岩の絵はがきが紹介されていたが、19
世紀末から20世紀中頃(明治末期から第二次大戦後)の尾道の
姿を写した様ざまな絵はがきは、尾道市民にとって貴重な文化遺
産といえるだろう。
 しかし、絵はがきはあまりにも身近な存在であり過ぎたため、
軽視され、廃棄されてしまったものが多い。このままで行くと、
貴重な資料が、さらにどんどん失われて行くおそれがある。いま、
みなさんの手もとに、昔の尾道の姿を写したり、描いたりした絵
はがきがあったら、ぜひお知らせいただきたい。これが数集まれ
ば、尾道の昔の姿をかなりの程度明らかにできるはずである。将
来、資料館のようなものができたときには、展示資料として有効
に活用されるに違いない。多くのみなさんのご協力に期待してい
ます。

転載責任者メモ:連絡先は取りあえず「ニュース・メニュー」に書いて
        ある山陽日日新聞社でよろしいかと思います。メール
        でしたら私が取り次ぎますのでこちらまで。


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