2002年5月9日(木) 亀森八幡神社 除虫菊生みの親しのぶ 金鳥創業者、故 上山英一郎氏 |
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大正から昭和にかけて蚊取り線香や殺虫剤の原料として瀬戸内 海の島々で栽培されていた除虫菊の種をアメリカから持ち帰り、 普及した大阪市西区、大日本除虫菊(金鳥)の創業者、故上山英 一郎氏を祀る祭典が向島町名郷丸、亀森八幡神社(吉原典孝宮司) で8日、執り行われた。 午前11時、絵馬殿で故上山氏の遺影を飾り、満開の除虫菊、 鯛や竹の子やイチゴなど海山の幸が供えられた祭壇に向い吉原宮 司が上山氏の偉業を偲び、金鳥の隆盛を祈り祝詞をあげた。 金鳥の上山久史専務=写真=、安保恭作県除虫菊共同組合長の 孫、安保清和氏、森重彰文尾道市立美術館長、卸問屋役員ら15人 が次々に玉串を捧げ故英一郎氏の業績をたたえた。 故上山氏がアメリカから除虫菊の種を持ち帰り尾道市向島地方 に植えたのが111年前の明治23年。初夏になると瀬戸内の島 々の段々畑は一面、真っ白いジュータンを敷き詰めたように美し く咲き誇り、戦後まで季節の風物詩になり、人の目を楽しませて いた。除虫菊は蚊取り線香や蚤取り粉など殺虫剤の原料としてヒ ット商品となり、農家の懐を潤わせた。 戦後、化学殺虫剤、ピレクトリンが開発され、除虫菊栽培は下 火となり、全国に残っているのは尾道市の千光寺公園、因島市の わずか2か所だけとなった。 除虫菊の産みの親、故英一郎氏を顕彰し、まだ存命中の昭和5 年、亀森八幡神社に写真、鏡、日本刀を安置した「除虫菊神社」 を創建。以来毎年、祭典がおこなわれ今年で72回目を数えてい る。千光寺参道脇には英一郎氏のレリーフをはめ込んだ「除虫菊 発祥之碑」を建立、功績をたたえている。 大日本除虫菊は尾道市に650万円を寄付、千光寺公園除虫菊 畑を一昨年、整備し「白いじゅうたんの丘」を造成、市民や観光 客に親しまれている。 |