山陽日日新聞ロゴ 2002年4月23日(火)
番所保存会
 
今年度、県文化財の申請
  防地福山藩番所の看板設置
番所の説明の入った看板
 約150年前、江戸時代後期に建てられ、国境番所としては土佐
藩立川、丸亀藩とともに全国にわずか3棟しか現存していない高須
町防士、福山藩番所を修理保存しようと立ち上がった「番所保存会」
は20日、近くに看板を設置。番所の存在を広く住民にアピール、
県の指定文化財に向け、取り組みを強めている。
 市道防地浄土寺山線の防地交差点脇に設けられた「防地峠と番所」
の看板はタテ90cm、ヨコ1m80cmの大きさ。阿草会長やボランティア
の大工ら5人が間伐材の丸太を使い基礎工事から屋根の取り付けま
で手作り。福山藩番所の由来と歴史的経緯が書き込まれている。
 昨年10月、立ち上げた「番所保存会」は空き家となり傷みがひ
どく雨漏りが激しくなった福山藩番所を修理保存しようと財源確保
のため募金運動、最終の目的、県文化財指定に向け行政や文化団体
などと連携を深め、準備を進めている。
 募金は270個人・団体から100万円強の寄付があり、市民の
関心も高まってきた。県文化財指定に向け現在、測量調査を実施、
史跡としてふさわしい趣意書を作成、今年度中に県に申請する。県
指定の審査委員に市文化財保護委員で福山番所保存に理解を示す日
本建築史で中四国第一人者、広島大学文学部、三浦正幸教授がおり、
保存会としては心強く、期待しているという。
 「防地峠と番所」の説明文は次の通り。
『 江戸時代、ここ防地峠は芸州領と福山領の国境でした。当時の
 山陽道。東の方へは尾道からこの防地峠を越えて、今津、神辺、
 井原、矢掛と続いていました。
  国境ですから、人と物の動きをここでチェックするための番所
 (藩が設けた小型の関所、今の交番に近い役目)が、峠を挟んで
 芸州藩と福山藩の両方に在りました。
  この建物は福山藩の番所だった建物です。
  大名行列も、お伊勢参りや、地方巡業の芝居や相撲。行商人や、
 一人旅、二人旅。早馬も、飛脚も、様々の旅人や荷動きを見張っ
 て来ました。明治維新で国境は無くなり、番所の建物もどんどん
 姿を消してしまって、いまや全国で三棟だけしか残っていません。
 しかも現地にあって街道を見下ろせるそのままの条件で残されて
 いるのは、ここ防地峠の番所だけなのです。
  幕末、この峠で、尊王討幕の急先鋒長州藩と徳山親藩の福山藩
 の武士たちが、武器を構えて睨み合いしました。あわや、この地
 は戦場となったかもしれないのです。
  明治の廃藩置県により、芸州藩と福山藩が併合されて今の広島
 藩が出来上がりました。
  私達は、この防地峠の歴史と、番所独特の建物を、是非とも後
 世に残したいと願っております 』。


ニュース・メニューへ戻る