1998年9月27日(日) 県近代化遺産 尾道市編..(10) 千光寺山麓で風雪凌ぐ 西土堂町、土堂小学校 |
||
西に市街地が広がる尾道市にあって西部の児童の便をはかるため 市制施行2年後の明治33年、土堂1丁目(現新日本証券周辺)に 産声をあげた土堂小学校−。 4年後に西土堂町、持光寺西側の千光寺山麓に移転、以来増改築 が繰り返され、最も古い東校舎(鉄筋コンクリート3階建て、延べ 1482平方m)が竣工したのが昭和11年。その西側に鍵型鉄筋コン クリート4階建て9教室が34年から35年にかけて完成。ついで 創立70周年記念事業として体育館ならびに各付属施設が整備され た。 当時の金で4万7500円をかけ建て替えられた東校舎。玄関を中心 に簡潔なデザインながら3階のドーム型窓の装飾性が千光寺山の懐 に抱かれ、尾道水道をバックに映える。 昭和27年当時、1350人も在籍した児童も現在は僅か70人に減少。 創立百周年を2年後にひかえ、同校がかつて芸術文化、各種行事開 催や団体の発祥の場としても使われてきただけに感慨を覚える人が 多い。 |
||
|
繁栄期のシンボル的存在 土堂1丁目、新日本証券 |
|
元尾道商工会議所だった土堂1丁目、新日 本証券尾道支店−。広島より1年遅れ明治25 年11月に発足した尾道商工会議所。明治21年 に創立し、久保町米場から長江3丁目の現 長江中学校の地に移転改築したばかりの尾道 商業学校(現尾道商業高校)に間借りしてス タート。その後、東御所から久保町へと移転 を繰り返しながら創立30周年記念事業として 大正12年4月に起工、同年10月に完工。規模 は鉄筋コンクリート、地下1階、地上3階建 て、延べ446平方m。 この年、尾道港が内務大臣から指定港に認 可されるなど商都として繁栄をきわめたシン ボルとし本通り商店街にその塔屋とともに威 容を誇った。 |
||
46年、佐藤汽船に売却、会議所は中央桟橋に移り、新日本証券 尾道支店に。 現在はアーケードにより、その全容を見ることはできないが、 尾道の盛衰を語りかける |
転載責任者メモ:土堂小学校は林芙美子が通ったことでも有名。
新日本証券は現在、和光証券と合併して新光証券になっていますね。
駅から商店街に入り、市立美術館分館「ふらっと」の2軒先。