1998年9月13日(日) 県近代化遺産 尾道市編..(8) 市民に恵みの水を 久山田町、久山田水源地 |
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昭和26年、御調郡深田村から市に合併された久山田町にダムづく りの計画が持ち上がったのは今を遡る85年前の大正2年、急速に発 展する尾道にあって、緊急施策の1つとして大正10年9月、市議会 の議決を経て同12年1月14日着工。 計画では、現在の旧市街地の尾崎から東西御所まで約3万7千人を 対象に1日最大給水量4500立方m給水できる貯水量73万8426立方m の近代的なダムとして県下初の粗石モルタル積拱式堰堤(集水面積 3.6平方km、堰堤75m、堰高21.5m)、そしてこれに連動する浄水 施設を十四日元町字槇ヶ峠(現長江3丁目)に、あわせて配水管工事 に取りかかった。 総事業費は139万3560円。このうち国庫補助や県補助金など差し 引いた全体の約74%にあたる103万5000円は、のちの市名誉市民 山口玄洞翁による寄付金があてられた。 玄洞翁の郷土愛に支えられ工事は順調にすすみ2年3か月後の 14年4月9日に竣工、同4月18日に久保町の偕楽座(現共同福祉施 設)で玄洞翁を招き落成式を挙行、当時の市民の喜びはひとしおだ った。 市が誇れる上水道施設も加茂郡河内町に昭和44年3月完成した椋 梨ダムに主力はとってかわられたものの、現在でも長江、久保、栗 原地区の一部には日量約3500立方mの配水を続けている。 市は水源地脇に記念碑「雨法露甘謝」をたて、毎年水神祭を、ま た顕彰会により命日ならびに春秋彼岸の法要で恩沢を偲んでおり、 水の恵みを市民に語りつたえるとともに近代化遺産としても大切に 保存したいものである(写真は東側から見た拱式堰堤)。 |