山陽日日新聞ロゴ 1998年9月10日(木)
県近代化遺産 尾道市編..(7)
 電車道の記念碑に
   木ノ庄町末政、旧尾道トンネル
旧尾道鉄道トンネル
 ここで「県近代化遺産一覧」にリストアップされたものの、「事
例」の項目にあげられなかった建造物など取り上げてみる。
 まず北部から木ノ庄町末政に残る旧尾道鉄道トンネル。日露戦役
後、画期的な発展を遂げた尾道経済界の総力を結集し、大正14年
11月、西尾道〜石畦、さらに15年4月、御調郡御調町 市まで開通
した軽便鉄道。さらに山陰までもとの計画もあったが、諸般の事情
で全長17.1キロでストップした。御調はもとより県北部を結ぶ動脈
として大きな役割を果した。
 しかしモータリゼーションの発達にともない昭和32年2月、石畦
〜市間で、37年12月に全線が廃止され、バス路線にとってかわった。
 その施設をとどめるものの大半が消え去ったが、今は国道184
号線となった石畦から新道を登り、木門田トンネルをくぐり抜ける
と右手に石畦〜畑間に6ヶ所あった電車トンネルのうち、唯一残る
第4号トンネルの煉瓦造りの遺構が訪れる人を待ちうけている。
 大正15年に築造され、長さは5、60メートルあろうか、 レールが
取り除かれたトンネル内は真夏でも肌寒さを感じさせ、40年近い歴
史を刻んだ軽便鉄道の記念碑として寂然とたたずむ。
  煉瓦造煙突、盛衰の跡を
    美ノ郷町三成、土生酒造場
土生酒造場の煙突
「テンリキ」の酒名が残る煙突
 石畦から美ノ郷町三成まで引き返すと、右手に高さ約20メートル
もあろうか、今はあまり見掛けることがなくなった煉瓦造りの煙突
が大正元年に建てられた土生酒造場の倉庫群などに囲まれ、スクッ
と立つ。
 酒造の歴史は寛永年間(1624〜1644)に始まったとされ、尾道酒は
御調郡に属する尾道で製造された銘酒として古くから文献に残り、
文政年間の尾道志稿には久保に4、十四日に4、土堂に3の醸造元
があったとしるされ、近世において備後地方から三原、安芸路へと
拡大したといわれ、大正時代には県内酒が全国で首位になったほど
の酒造県。
 その銘酒の歴史も尾道市にあっては徐々に先細り、昭和30年代、
市内にあった3軒とも独自の酒造りをやめ、その遺構をとどめるだ
けになっている。

旧尾道トンネル南入口旧尾道トンネル内から国道方向を見た
転載責任者メモ:
これは私の撮った写真。
普通の道として通り抜けられます。
(線路が取り除いてあり舗装されている)

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