2001年11月15日(木) 若き日の才能ほとばしる 平松さん親子三人展、中銀尾道支店で |
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昭和43年の日本水彩画会展で文部大臣奨励賞を受賞するなど、 その才能が高く評価され、将来を嘱望されながら45才の若さで逝 ってしまった平松純平さん(1930〜1975)。武蔵野美大を卒業後、2 度渡仏するなど父と同じ道を歩みながら35才で小さな星となった 長男卓也さん(1957〜1992)。そして2人の妻であり母である日本水 彩画会会友平松祐子さんの親子3人展が中国銀行尾道支店のロビー で開かれている。卓也さん没後10年を直前に、絵画家族展が絵の まちの話題をさらっている。30日まで。 油彩、水彩の両刀使いとして有名を轟かした純平さんが広大在学 中に学生コンクールで入賞した30号の油彩「尾道風景」と昭和36 年、市立美術館あたりから見た初冬の「尾道風景」(50号)の2 点を。祐子さんも昭和25年に描いた「住吉浜」と「糸崎駅風景」 の油彩30号2点を。卓也さんは油彩「バイオリンを弾く妹」(50 号)と今回唯一の水彩「帽子の女」(30号)の計6点を出展。 平松さん夫妻は市内の中学校で教鞭をとる傍ら絵画に情熱を傾け 精進。尾道美術協会に所属し、人もうらやむ芸術一家だったが、夫 そして長男の夭逝、さらに祐子さん自身も病気で、定年を3年残し 教壇を去った。しかし絵のたいする執念は衰えることはなく、試練 をバネに投薬を受けながら定まらぬ利き腕を支えキャンバスに対峙、 また水彩同好会蘂(しべ)の会を主催し後進の指導にあたるなど多 くの人に感動を与えている。 純平さんと尾中、尾道北、広大、そして市内の中学校教師として 一緒に歩んだ石田克彦・尾道美術協会会長は「いずれの作品もその 才能が若くして横溢した好作。今でも新鮮な思いが伝わる。バイオ リンを弾く妹には卓也君の妹への希望や思いやりがこめられ、安定 した構図。その空間から美しい音色が聞こえてくるようだ。回顧展 であるなら、もっと広い場所で多くの作品を集め展示して欲しかっ た」と残念がっていた。 |