山陽日日新聞ロゴ 2001年11月13日(火)
市民で協力を
 瀬戸内船文化の伝承を
  木造船『呼子丸』の再建で始動
向島に係留された在りし日の「呼子丸」
 港と船で栄えてきた尾道−。島伝いにまで高速道路が走る車社会
となり、船は忘れられた存在であるが、つい数十年前まで島の生活
の足として、力強く走る木造船の姿が尾道にもあった。そんあ木造
旅客船を『瀬戸内文化』の民族資料の1つとして復元、後世に伝え
ようという市民活動が始まった。
 その第1弾として、大林宣彦監督の映画『あした』(95年公開)に
登場した「呼子丸」(よぶこまる)の復元を市民が発案。瀬戸内の
定期航路で活躍、廃船寸前で映画スクリーンでの"花道デビュー"
となり、撮影終了後は尾道水道に係留されロケ地巡りの観光客に親
しまれてきたが、老朽化から昨年夏に浸水沈没、協議の結果同秋に
解体廃棄された船である。
 その後も、映画愛好家らから復元を望む声が寄せられ、尾道大林
映画研究会の大谷治副会長が呼子丸のルーツを検証。船体プレート
を唯一の手掛かりに、当時の建造者、越智郡伯方町に住む現役の船
大工、渡辺さんを探し出し、再建計画がスタートした。渡辺さんに
辿り着くまでの過程では、伯方町役場の協力と「伯方町誌」の記述
が大いに役立った。
 呼子丸は1959年、「大福丸」として伯方町の造船所で建造さ
れ、岡山県の笠岡諸島、続いて江田島周辺で「三高丸」として活躍
し現役を退いた。その後、解体を待っていたところに映画出演の話
が舞い込み、「呼子丸」として『出演』した。同じく映画で使われ
たロケセットの船の待合室は、新たにバスの待合室として向島兼吉
での再活用に成功、合わせて船の保存も望む声がありながら、実現
しなかった。
 実物ではなくスケールダウンした模型での再建・保存にむけて動
き始め、大谷さんを委員長に「呼子丸」1/8再建おのみち実行委
員会を立ち上げた。副委員長に黒瀬さん、委員は大田さん、宇根本
さん、梶川さん、鈴山さん、村上さん、山本さん、吉田さん、監査
に笠井さん。
 実際の呼子丸は長さ約19m、30トンあったことから、再建費
用や保存場所を考えて、実物の8分の1(約2m)で再現する。費
用は全体で約300万円かかる見込みで、出来るだけ市民や観光客
の募金で賄う。すでに募金箱が設置されており、市内企業からの申
し出もあるという。
 「建造者の渡辺さんが現役で活躍されているうちに、何とか再建
させたい。映画の呼子丸としてだけでなく、瀬戸内でかつて活躍し
た船の民族資料としての価値を広く知らせたい」と大谷さん。
 森重・市文化財保護委員は「呼子丸は昭和の渡廻船の名残である。
江戸時代の『北前船』は市政百周年の時に模型を制作、駅前桟橋の
ロビーに展示してある。造船の町である尾道で時代ごとの船を検証、
伝えていくことは意義がある。かつて尾道港には多くの船が集り、
さながら『船のモーターショー』の様子だった。島から船大工が資
料の調達に訪れ、新しい船の形、流行などを研究して帰っていたと
も言われている」と話す。
 調査の途中で、大福丸の船体に使われた木材は、当時の大田製材
所(現在の古浜町、大田建築設計事務所)で売られたものと判明、
長年大林作品の大道具を担当している大田さん(委員の1人)は
「何という繋がりでしょうか、びっくりしました」と話している。
【趣意書】「呼子丸」は1959年当時、「大福丸」の名で進水、
笠岡諸島の旅客船として初航行しました。海人「日本人」の1万年
とも言われる船大工による木造船の経験工学的技術が、歴史の中か
ら消えてしまうのでは、と私たちは危惧しています。
 これを機に、地域の芸術・文化の熟成を目指し、瀬戸内海の魅力
を全国に発信したいと考えています、特に20世紀初頭の尾道は、
海運物流の拠点として、様々な船が停泊していました。それは船の
展示場とも言われ、瀬戸内各地から見学者を引き付け、造船業をは
じめ材木商、船具商の隆盛をも極めました。
 1000年前から尾道の船は、芸予諸島を中心に島と島、町と町、
人と人の物流、文化交流を担ってきました。海運拠点都市尾道の誇
りの証として、私たちは後世にこの船を残したいと考えます。趣旨
にご理解、ご賛同いただき、広く募金をお願い致します。−「呼子
丸」1/8再建おのみち実行委員会−。
 振込みは実行委の名で、中国銀行尾道支店、普通1372937。


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