山陽日日新聞ロゴ 2001年7月7日(土)
下火の海水浴場
 昭和20〜40年代には尾道向島地方に8か所
  
ただ1つ干汐だけ営業
   立花、シーパークと次々に休止
営業休止中の立花海岸  今年中止になったシーパーク
 時代の波にさらわれ尾道向島地方の海水浴場が次々に廃止、今年
はついに干汐海水浴場だけのオープンとなり、昭和40年代、いも
の子を洗うような盛況ぶりを誇っていた時代は遠い昔の話しとなり、
寂しい限り。今後、海水浴場の復活はありうるのか、はなはだ疑問
で前途は多難だ。
 夏に涼をもとめる海水浴場は昭和20年代には尾道水道では日立
造船東側の兼吉、西側の福地では市内の小学生が先生に連れられ、
泳ぎ方を教えてもらっていた。向島南側の入り江になった向東町古
江浜も昭和20年代、尾道港から臨時の船が出るほど海水浴場とし
て栄えていた。
 遊びも娯楽もまだ少なかった昭和30〜40年代は海水浴ブーム。
尾道市の離島、加島にも海水浴場が開設され尾道、常石方面から船
でピストン輸送、釣り掘りまで作られ、賑わいをみせていた。向島
の西側、夕陽がキレイな岩子島海水浴場、布刈瀬戸に面した南岸に
は立花と干汐海水浴場、大林監督の映画「あした」で全国的に脚光
を浴びたシーパークと海岸延長約3km間に3か所の海水浴場が林立、
活況を呈していた。
 民間業者が経営していた離島の加島は50年代に見切りがつけら
れ、続いて瀬戸内海にサメが出没、騒動が起こった平成4年、赤い
大鳥居がおSびえ、松林に囲まれ、ピーク時は5万人の人出があり、
県東部ナンバーワンの集客力を誇っていた岩子島海水浴場が廃止に
追い込まれた。
 そして昨年、遠く四国連峰を望めるロケーションのよい立花海水
浴場が休止、今年もまた請負業者が決まらず、2年連続中止となっ
た。岩子島海水浴場と同様、地区町内会が海水浴場の管理運営権を
持ち、ひと夏、業者に委託。昭和42年にオープンして以来、最盛
期には業者の落札金額が200万円にものぼり、それ以上の利潤を
上げていた。貸し切りバスが1日20台連なってきた時期もあった。
それが約10年前のサメ騒動以来、じり貧で業者の請負額もピーク
時の4分の1の50万円に下がった。「売店の敷地、建物は借りて
おり、昨年立ち退きの話しもあり、また準備を含め夏の2か月程度、
朝6時から晩8時まで海水浴場を管理する業者や人が今のところ、
いません」(槇立花地区区長)と時間拘束が長く、きつい仕事のや
り手がいないという。
 ホテルや貸別荘もあり有料海水浴場のシーパークは毎年、固定客
がおり3〜5千人を呼び寄せていたが今年は「人出がたりない」と
休業を決めた。来年の見通しについても、その時点で考えるという。
 唯一、営業をつづけるのは干汐海水浴場で14日海開きする。
 レジャーが多様化、次から次に新しいプール、海水浴場ができ、
旧来の海水浴場は押され気味。瀬戸田のサンセットビーチはオープ
ン当初は20万人も人を寄せ、1人勝ちしていた。そのサンセット
ビーチも15万人を切り、次第に下火、新たな海水浴場、プールに
とってかわられている。
 しまなみ海道が全線開通して、ますますレジャーが広域化、海水
浴客も遠出できるようになった。「因島大橋、井口橋の開通する前
は尾道向島地方の海水浴場はまだ勢いがあったが、橋が架かってか
ら急速に目減りしだし、数字に表れている。時間的にそんなに変わ
らなければ新しく魅力のある所に行ってみたいでしょう」(観光業
者)と話していた。
[写真は2年連続の休止となった立花海水浴場(左)と今年、中止
のシーパーク(右)]。


転載責任者メモ:尾道水道にも海水浴場があったのですねぇ・・
        確かに関東周辺でも、若者は単なる海水浴ではなく、
        湘南のように新しくオシャレな店やイベントとセットで
        楽しむようになりました。私が子供の頃は、せいぜい
        海の家と焼きトウモロコシと.. 移り変わりを感じますね。


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