山陽日日新聞ロゴ 2001年2月24日(土)
ニュースステーションが取材
 街路川尻小歌島線ポケットパークに

  日英友好平和記念碑建設
   戦時中、英国兵士が向島紡績で生活
向島紡績を見るノーマン・ウィドレクさん(98年)
 第2次世界大戦中、東南アジアで日本軍の捕虜となり向島町の収
容所にいた元イギリス人兵士の歴史は記憶に新しく、3年前には捕
虜となった元英国人兵士が半世紀振りに来向するなど戦争が終わっ
たあとでも交流。この戦争の記憶を永くとどめ日英平和の証しとし
てモニュメントを建設しようと近く、募金運動を始める、元英国人
兵士が住まいにしていた兼吉、レンガ造りの向島紡績にはプレート
をはめこみ、収容の歴史を明示していく。
 モニュメント設立は向島教会牧師、南沢さんを代表に岡田さんら
が発起人になり近く正式な組織を立ち上げ、募金運動など行ってい
く。建設予定地は街路事業川尻小歌島線の北端、飲食店・与加呂前
のポケットパーク。町も野外時計を設置、修景工事を施し「平和の
広場」として位置づけていく。南沢代表は「今年中には記念碑を設
置したい」と話している。日英友好のシンボルとなるモニュメント
の製作は地元の彫刻家、高橋秀幸氏に依頼する。
 第2次世界大戦中、向島紡績捕虜収容所にはインドネシアから移
送されてきた英国空軍兵士100人が1942年12月から45年8月まで
住み、造船所で資材運搬などに従事していた。そのうち23人が死亡。
英国捕虜兵士のドキュメントを編集しているテレビ朝日系「ニュー
スステーション」がこのほど資料を発掘、亡くなった人達の尾道厚
生病院の死亡診断書、それに防地町、尾道刑務所西隣りの墓地に共
同墓が見つかった。
 戦後53年経った98年11月、元英国空軍兵士、イギリス。エック
ス州、ノーマン・ウィドレクさん(77)ら24人が来向、収容所だっ
た向島紡績、働いていた日立造船を見学、向島教会で日英合同追悼
礼拝が行われた。ノーマンさんは「木炭を運んでいる時、尾道の和
尚さんにもらったおむすびの味が今でも忘れられない」と語ってい
た。因島での捕虜の扱いは悪く、向島は逆に町民も親切でそのお礼
かたがた、終戦の翌日、英米軍は何十個のドラム缶にパラシュート
をつけた救援物資を一般の民家にも投下したという。
 昨年は7月、ロンドンで開かれた合同メモリアルサービスに尾道
地方から3人が参列。英国からは昨年に続き今年も秋に来日、この
模様をニュースステーションが追跡取材し放映する。捕虜収容所と
して向島を取り上げるか因島を取り上げるか、検討しているという。
 モニュメントのほか収容所だった向島紡績レンガ塀の建物に歴史
を記したプレートを取り付けていく。
 捕虜収容所の歴史に基づき、友好記念碑を作製しているのは新潟
県直江津市など全国に4〜5カ所ある。
[98年11月、53年振りに向島を訪れた元英国空軍兵士、ノーマン・
ウィドレクさん(右から4人目)]

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