山陽日日新聞ロゴ 2001年1月1日(月)
今世紀も残したい尾道の風景 1
 まだまだ眠っている町の魅力
 迎えた21世紀、尾道はどんな町になってゆくのだろうか? 繁栄
と衰退を繰り返した前世紀の後半、尾道はその魅力から全国に知られ
る町になった。大林宣彦監督は「尾道は、その不便さを賢く、工夫し
て暮らしている人の姿があるからこそ、その向こうに見える風景も美
しい」と言う。他の町では失ってしまった『人が生活している風景や
匂い』が、まだ尾道には残っているが、やがて消えてしまいそうな不
安がある。尾道市は11年前、尾道の魅力再発見を視点に「散策百景」
を選定したが、姿を変えたり、すでに無くなってしまったものも多い。
今を生きる私たちは、これらをどう受け継いでいけるのか、例を挙げ
ることで今世紀初頭の課題としたい。
ネオン街にある四角いマンホール  太い木製電柱
       ▲ ネオン街にある日本一 ▲
 久保2丁目の繁華街「新開」のなかにある2つの日本一。日本で最
も古い『マンホール』と日本一太い『木の電柱』。昔は船着き場だっ
たと言われる石段「勧商場」の南側、細い路地にマンホールはある。
縦横45cm、同じ小路に2枚だけ残っている。いつのものか定かでは
ないが、厚みがあって鈍い鉛色が年代を感じさせる。四隅には何やら
不思議なマークが。縦に見れば岡山の「岡」のような、横に見れば亜
細亜の「亜」のような。
 マンホールからは目と鼻の先、木造3階建ての家に寄り添って立つ
木の電柱。今や木製の電柱自体が珍しいが、根元の胴回りが150cm
はあろうか。表面の木肌は長年の風雪で随分傷んでしまったが、今で
も幹線支柱として現役。ともにネオンに照らされながら、夜の人通り
を見守ってきた。新開には、他にも意外な日本一が隠れているといわ
れる。
山陽本線のレンガ・石積みガード         
 ▲ 半分だけがレンガと石積み
 JR山陽本線のガードを支えるレンガと石積みの構造物。1891
(明治24)年10月、福山−尾道間で開通した山陽本線の名残と、変
遷が見て取れる。防地口と西国寺下、風呂の小路、長江口、ロープウ
エイ入り口に同様の近代遺構がある。山陽鉄道開通時には単線、その
時築かれたのがレンガと石積みの部分。その後、国鉄になって1925
(大正14)年、岡山−三原間が複線化、この時に増幅されたのがコン
クリート張りの部分。いずれのガード下も「レンガ・石積み」と「コ
ンクリート張り」の痕跡が、ちょうど半分ずつ見られる。
 昨年末、西御所町のレンガ造りの倉庫が、三原の人によってレスト
ランに生まれ変わった。新しいものを造らずに、今あるものを再利用
して活かしてゆけるか、まずはその魅力に気付くことが必要だが、時
間もあまり残されていない。
          晩寄り風景
          ▲ 商売のあるべき姿がここに
 尾道名物の1つが行商「魚売り」。『晩寄り』といわれており、押
し車の小さなスペースに新鮮な瀬戸の魚が並ぶ。昨年末に千葉県で量
り売りするスーパーマーケットのフランスからの進出が大きく取り上
げられたが、この晩寄りも当然、量り売りが健在。「必要なだけ」
「好きなだけ」「今夜の晩御飯分だけ」がお客のニーズ。商店街に活
気がないといわれるが、店の構えを持たないこの"小さな店"にはいつ
もの常連が立ち寄り、元気がある。青空市場の雰囲気で、値段交渉の
うえ商いが成立していくが、これが本来あるべき商売の姿なのかもし
れない。長江口に見られた魚売り、現在は駐車場と公園で場所を移動
しているが、今後はどうなるのか?

転載責任者メモ:散歩好きの旅人は、ガイドブックにない、こういう見どころを
        捜しているような気がしますね。どんどん記事で紹介して欲しい
        ものです。新開に行く楽しみが増えました。

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