山陽日日新聞ロゴ 2000年12月8日(金)
尾道松竹

『映画の町』を返上の時来るか?
 最後の映画館が休館に
  戦後の隆盛期は14館しのぎ合う
休館中の尾道松竹
 ついに尾道から映画館の灯が消えた−。尾道に残る唯一の映画館だ
った「尾道駅前松竹」が、今夏を最後に休館していることが7日まで
に分かった。映画が大衆の娯楽として隆盛を極めた戦後間もなくの
1950年代、尾道と向島だけでも14館がしのぎを削ったこともあった
が、21世紀を目前にして、『映画の町』といわれる尾道も、映画館
が1館も無い町になってしまった。
 おのみち映画資料館の話しによると、駅前松竹が休みに入ったのは
9月初めからで、夏休みの終わった8月末でピリオドを打ったもよう。
館を経営してきた社長が現在体調を崩して入院しているということで、
詳しいことは判明しないが、『閉館』ではなく、あくまでも『休館』
ということらしい。しかし、電話や水道などのライフラインは既にス
トップしているため、実質の閉館と考えられる。
 映画会社の松竹が直接経営する「松竹尾道」が開館したのは1947
(昭和22)年6月14日。戦争の傷跡が徐々に消え、映画は大衆の娯
楽となっていったが、昭和30年代初め、尾道地方には14の映画館が
あったことが分かっている。松竹尾道にも映写技官や事務員、営業員
など15人が働いていたこともある。その後、経済成長にともないテ
レビの普及などで映画が斜陽、60年代後半に現在の建物に建て替えた
が、73(昭和48)年、ついに松竹が尾道から撤退、社員だった現社
長がこれを引き継いで「尾道松竹」を立ち上げて現在に至っていた。
 97(平成9)年の本社の取材に現社長は、「最も賑わった作品は
『君の名は』だった。朝から夜遅くまで、1日7回上映しても立ち見
客が入れない状態だった。急きょ、後ろ側の壁を壊してお客さんを入
れた」と当時の思い出を語っている。
 尾道は映画の撮影ロケが多く行なわれ、文学と並んで『映画の町』
と称されるが、作品を見る場所が1つも無くなったということの空し
さは大きい。21世紀にはその名を返上すべき時が来るのかもしれな
い。
 55(昭和30)年ごろの尾道映画興行界の映画館は次の14館があ
ったことが分かっている。また尾道税務署の調べでは58(昭和33)
年に、管内の2市2郡で合わせて31館あり、1年で233万人が入
館している。
 尾道東映、尾道日活、尾道東宝、尾道大映、太陽館、尾道会館、
松竹尾道、祇園座、尾道劇場、衆楽座、浦崎文化劇場、百島東映、向
島兼吉劇場、向島松映。

転載責任者メモ:尾道そごうのニュースに続き、駅東の古い建物が空き家状態に。
        私はこの映画館にも入ったことがなかったので残念。昼はドラえもん、
        夜は成人映画という感じで営業していましたが。(だから入らなかった
        という事でもあるのですが。大林映画も上映したことがあり[「あした」]
        そういうときに行き合わせれば入ったでしょう。)この外観で
        エヴァンゲリオンをやっているのを見たときには、凄いギャップを感じた
        ものです。再び開館してくれると嬉しいですが・・
        14館の経営者名は割愛しました。

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