2000年10月29日(日) 玉の岩伝説に連動 千光寺山に鏡岩現わる 21世紀に向け石の文化遺産蘇る |
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(黄色矢印は転載者記入) |
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石のまち尾道を象徴する大宝山山頂近くに鎮座する東土堂町、千光 寺の「玉の岩」の後方から古くからあったと伝えられる鏡岩が見つか り、このほど覆っていた樹木を伐採するなど整備された。市役所や尾 道大橋、国道2号線からでも眺められ、旧市街地を見下し蘇り、朝日 を受け輝く石鏡が新たなるシンボルとして脚光を浴びている。 昨年春、庫裡の裏側の斜面にある大松が枯れ、取除くため手入れし ていたところ、高さ7m余りある大岩に直径2mの円形に削られたノ ミ跡が現れ、先代住職多田隆信さん(今年6月30日死去、行年85歳) らが以前から伝え聞いていた「玉の岩の明りを、また朝日を西国寺山 頂にあるタンク岩に反射させた」との伝説の鏡岩と確認。周辺の落葉 樹など刈り取りながら足場をくみ、深さ5ミリほど掘り込まれた鏡面 を研磨した。 平安時代の大同元年(806)源氏の名将多田満仲の中興と伝えられ る千光寺は、標高136.9mの山頂近くにあって周囲には石像阿弥 陀三尊像の磨崖仏(市重文)や烏天狗の線刻、種子マンダラが彫られ た梵字岩、七仏通戒偈の岩、さらに古今の句・歌碑、顕彰碑など立ち 並び、文学のこみちを形成するなど石造品の名所。製作年代は専門家 に委ねることにしているが、玉の岩伝説と連動する鏡岩だけにかなり 古い時代、仏前に置かれる心鏡、また呪力を宿すものとして彫られた らしく、旧市街地を見つづけた石造が21世紀にむけての示唆を与え てくれればと岩に向い手をあわせ願う市民もいた。 |
転載責任者メモ:中央に「日本の音風景百選」の驚音楼、その左に、
上に丸い玉の乗った玉の岩が見えています。その昔は夜、
玉が明るく輝き船から目印になったという伝説の玉の岩。
その玉を盗もうとヨソから来た泥棒が船での運搬に失敗。
海に落としてしまったということで、落とした場所を玉の浦と
名づけたという昔話があるそうです。続きもありますので本を
ご紹介。元土堂小学校校長の方がまとめられた大変楽しい本です。
『尾道のむかし話』(西原通夫著)=備後出版情報センター発行
その上の鉄柱はロープウエイのもので、玉の岩の少し左を通ります。
ということで、今回の鏡岩もロープウエイから見えるのかも?