山陽日日新聞ロゴ 2000年8月9日(水)
「呼子丸」水没
 映画同様に数奇な運命
   現状市の判断 海上、陸上とも保存展示困難?
水没した呼子丸
 (続報)6日の日曜日の夕方、兼吉の桟橋に係留している「呼子丸」
の突然の水没で、尾道市では7日午前中、岡本産業部長、柚木商工観
光課長が若住助役、亀田市長の順で今後の対応について協議した。
「現状のように保存することは困難ではないか」という認識をもって、
これから寄贈者の意向の確認、協議が進められることになる。
 岡本部長、柚木課長の2人は、7月31日午前中、向島町役場に多
田産業経済課長を訪ね、尾道渡船(株)の桟橋に係留している「呼子
丸」を、尾道市の所有から「向島町に引き取ってもらえないか」と、
町の意向の打診、市の要望を申し入れた。多田課長は即答できないが、
トップに申し入れを伝え協議して返答したいとのやりとりがあった。
 その足で2人は31日の午前11時ごろに、兼吉の「呼子丸」を視
察、甲板に上がって船内の様子を確認している。ポンプを設置し定期
的に船底にたまる雨水を汲み出しているため、同時点では水も入って
おらず、異常は全く認められなかったといっている。
 6日午後5時20分ごろ、運航中の尾道渡船の児玉船長から同事務
所へ無線連絡が入り、呼子丸が浸水し傾き始めたことが判り、わずか
5分後の同25分頃には右舷を下に45度の角度で浸水、水没した
(写真)。
 平成7年冬〜春にかけて、大林宣彦監督の映画「あした」で主要な
役割を演じた呼子丸は『あしたの記念碑』として、待合室と一緒に保
存される方向になった。
 待合室は現在、形を変えて兼吉のバス停に生まれ変わっているが、
呼子丸は映画同様にその後も複雑かつ"数奇"な運命をたどった。
 平成7(1995)年下旬、向島ドック(株)マリーナ事業部桟橋に係留
された後、翌8年4月1日に尾道渡船(株)向島側桟橋に移され係留。
同年6月3日に向島町観光協会から尾道市に寄付の申し入れがあった。
 2点セットのうち、待合室を向島側が受け入れ、呼子丸は尾道市が
受け入れるという方向。
 約2ヶ月後の8年8月6日、尾道市が寄付を受け入れ、同年12月
16日に再び、向島ドックの桟橋に戻った。
 尾道市ではその間、呼子丸係留の適地探しをおこない、住吉浜の中
央桟橋と住吉神社の間を適地と定め検討したが、干潮時に船底がつか
えることが判り断念した経緯があった。
 平成9年5月3日、備後商船(株)ドックへ曳航し、保存展示に備
え船底部をFRP工法(エナメル塗装)で強化するなど無償で修繕。
 平成10(1998)年3月4日、現在地の尾道渡船向島側桟橋に係留。
目と鼻の先にある待合室と2点セットで、大林映画ロケ地めぐりの観
光スポットのひとつとして復活した。
 市では、呼子丸の管理委託を尾道渡船(株)と1年契約(更新)で
正式に結び、常時の安全確認、ロープの伸縮・補強、雨水・海水のポ
ンプによる排水(1週間に1度または雨天後)、ヒビ割れ防止のため
海水を適宜かけるという内容になっていた。
 岡本部長、柚木課長とも6日前に現地視察したばかり(全く異常な
し)の呼子丸が突然、水没したことで驚きとショックは隠せない表情。
 事件当日、兼吉在の岡本消防長から水没後、ただちに連絡が岡本部
長に入り、同6時すぎには部長、課長ともに現場に急行している。急
を聞いて駆けつけた杉原町長とも現地で、31日に移管申し入れをし
たばかりという事情を説明している。
 今後の対応について、まず事務レベルでの方針、基本的考え方を助
役に報告、協議した上で7日月曜日の午前中に亀田市長と協議をした。
今となって、改めて向島町に引き取ってもらうことは困難となり、尾
道市の責任で結論を出すことになるか?
 大きく傾き水没している右舷は、デッキや甲板の板も破損している
状況。呼子丸を映画で沈めるため、船底には30cm角の穴が数多く開け
られており、その穴を塞いだ部分から海水が浸水し水没したという判
断(原因)。
 市長との協議を経て、行政としての現段階での一定の考え方をもっ
た上で、早急に寄付者の意向を確認し、結論を出すことになる。
 これまで通り、桟橋に係留(補強をして)する。それが無理な際に
陸上に揚げて保存する2つの保存法があるが、費用は別にして、補修
その他で保存に耐えられるかどうか(陸揚げは不可能)というのが市
の考え方といってよい。
 映画「あした」の中で、沈没した呼子丸が乗客(死者)を乗せて、
もう1度、家族や友人に会うため浮かび上がって"生き返り"、再び元
のように沈没していくという数奇な運命をたどっているが、はたして
現実の「呼子丸」の運命はどうなるのだろうか。
 現実問題としての呼子丸の事後措置になるのか、それとも大林宣彦
監督の尾道ロケ映画全体の問題(映画資料館問題を当然含む)のひと
つとして、対応協議という方向になるのか、まだその方向性は見えて
いない。
 "誘い水"があった向島町側が、大林映画向島ロケの貴重な財産とし
て広域観光を睨んだ尾道市との協議による対応策を打ち出せるかどう
かが、最重要ポイントになってくるかもしれない。

転載責任者メモ:「船を浮かべておく」というのはそれだけでも大変な手間なのですね。
        以前も陸揚げの話はありましたが、その時も「陸に上げるとヒビ割れを
        防ぐのが大変」とおっしゃっている方がいました。木は水に強く乾燥に
        弱い、一方金属部品は乾燥に強く海水に弱いという難しさ。
        「2000年のお盆に海に帰った」ということにして、船名プレートなどの
        "遺品"だけ残す、というようなのはどうでしょうね? 廃船として解体
        された姿だけはファンとして見たくないですね。

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